【第1話】 【 おひかえなすって 】

「おひかえなすって」

いきなり、見ず知らずの、中年オヤジが、俺たちの席の前で、腰をかがめ、 右掌を前に出し、「仁義」を切りはじめた。

仁義を切るなんて、ヤクザ映画の中でのことで、実際に、目の当たりにするとは思ってもみなかった・・・・・

「なんなんだよ、いきなり・・・・なに始める気だよ」
俺たちは、顔を見合わせた。 顔を赤らめたオヤジの目が、宙を飛んでいる。 酔っているのは、明白だった。その分、危険さを感じる。

ただの酔っ払いか?そ・・れ・・と・・も・・・

モノホンの・・・・・・やくざ・・?

そういえば着ている物も、明らかに同年代のオヤジたちとは違っている。 白地に、赤や青の模様が、ちりばめられた派手目の、柄物シャツ。
酔っぱらいの、ヤクザもんだったら始末が悪いよなぁ・・・・・

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その日は、カンカン照りの暑ーい日曜日。

仲間数人で、午後1時半ごろ、遅い昼食を取るつもりで、デパートの飲食店街にある、和食処に入ったときのことである。

時間が遅いせいだったのか、店の中は、客もまばらで、閑散としていた。

俺たちから、二つほど離れた席で、頂頭部が薄くなりかけたオヤジが、ひとりテーブルに肘をつき、ビールを飲んでいる後姿がみえた。

「まずはビールだな」

と、仲間の一声。当然、異議などあろうはずもない。

件のオヤジが、俺たちの席にやってきたのは、話も弾み、1杯目のジョッキが、空になるような頃である。

仁義を切られた俺は、ホロホロと、酔いの回り始めた頭で、考えていた。こういうときって、 こっちも、映画みたいに「おひかえなすって」 って、仁義を、返すもんなんだろうか?

「でも・・・・・、素人がやるもんじゃないだろうし・・・」
なんて、考えていたら・・・

「おひかえなすって!!」

と、さっきより大きな声で、もう一度、仁義を切り直した。目つきが、違っている。

その声で、半分「酔っ払いのオヤジかよ」 と、小馬鹿にしていた俺たちの間に、一瞬、ピーンと張り詰めた、空気が漂った。

こういう、強気な態度に、極端に弱い俺たち。背筋を伸ばし、オヤジに注目すると、オヤジは、気分が良くなったのか、次の一言を発した。

「さっそくの、おひかえ、ありがとうにござんす。 手前、姓はツボイ、名はキョウジ、・・・・・・人呼んで・・・」

俺たちは、最後の一言に、つばを飲み込んだ。 「人呼んで・・・・・ってことは、ふたつ名があるんだよ。やっぱり本物だよ・・・・」

ふたつ名、といったら「夜桜銀二」みたいな・・・・・
つい最近、見た映画の中の、菅原文太の両肩に彫られた、桜の、いれずみを思い出していた。心臓が、バクバクし始める。

ほんの、わずかな沈黙であったろうが、やたらと長い時間が、過ぎた後、

「ツボイキョウジ、と申します」

「へっ?」

おーい!ギャグ、かましてどうすんだよ。

姓はツボイで、名はキョウジ。それを続けて言うのは単なる自己紹介。
別に、アンタの名前を覚えたところでねぇ・・・・・・

オヤジの、その一言で、俺たちの緊張感は、一気にほぐれた。

単なる酔っ払いオヤジと、断定した俺たちの、取るべき態度は・・・・・・・・・。

補足

仁義の切り方には当然作法があって、 つっかえたり、間違ったりすると、命にかかわるんだという話を、 その筋の人から聞いたことがあります。どうなんですか?知ってる方、おられます?

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