今年、2007年は朝鮮通信使400年のイベントの年なんだそうだ。
つまり、朝鮮国王に任命された最も優秀な朝鮮人外交使節団を指す。この優秀な朝鮮人たちによる日本における行為が、今に伝えられているのが下の図である。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=71604
朝鮮通信士が、鶏を盗んで乱闘になっている有名な絵なのだが、白昼堂々の集団強奪事件であることが見てとれる。
辻の中央では、奪おうとする朝鮮通信使たちと、そうはさせじと、もみ合っている町人たち。その足下には人が倒れている。盗まれた鶏を、取り返そうとして、返り討ちにあったようだ。
画面中央では、かっぱらった鶏を仲間に渡そうとしている者と、受け取ろうとしている者。また右側では、鶏を脇に抱えた町人の襟のあたりをつかんで、鶏を奪おうとしている朝鮮通信使の姿も見える。
欲しいと思った物は、力ずくだろうとなんだろうと、何がなんでも手に入れようとする、執念ともいえる大陸系的粘り強さ・・・か?
朝鮮通信使の役割として、
「朝鮮通信使は日本に儒教をはじめ、さまざまな文化や技術を伝承をしました」
といわれているが、これが、朝鮮通信使の真の姿である。
もっとも、鶏泥棒の文化や技術が、日本に伝承されたという記録はない・・・
当たり前か。
また、■朝鮮通信使、金仁謙(Kim In Kyeom)の著書『日東壮遊歌』の中には、日本および日本人に対する正直な感想が書かれてある。↑必見
隣国同士という地理的関係から、朝鮮が日本に文化が伝えた、と思いこみたい気持ちは分からんでもない。しかし、
と朝鮮は陸の孤島であったということがわかる。
それに、稲作の伝播も、従来からいわれてきた朝鮮半島を経由して日本に入って来たのではなく、日本から朝鮮半島に伝えられたことが、遺伝子学的に解明されている。
日本から朝鮮半島への米の伝播について・稲作の伝播のまとめ
しかし、これはショックだろうな。朝鮮民族としては・・・
稲までこうだとなると、ますます、韓国起源、朝鮮起源にこだわり、ねつ造に精を出すことに励まなければならなくなる。
どこが、起源でも、それを咀嚼し吸収するだけの能力がなければ、なんの意味もなさないはずだが、「侍、日本刀、剣道、柔道、茶道、盆栽、折り紙、桜、日本食、錦鯉、秋田犬・・・エトセトラ、エトセトラ、韓国起源なんだと。
剣道・折り紙・盆栽・桜だけじゃない。韓国起源説
仮に、全く仮にだが、100兆歩ほど譲って韓国起源だとしても、日本のもの以上の物が、ただ一つないということに、なんの疑問も持たないとは、・・・
いやはや、なんとも・・・才能か?
秀吉に陶工が連れ去られて500年、未だに復興できないでいるというのだから、やはり、これは朝鮮人特有の才能なのだろう。
やさしい朝鮮通信使の話の中で、「朝鮮通信使との会話は筆談」などと、自慢げに書いてあるが、今じゃ、漢字さえ捨て去ってしまったからねぇ。南も北も。
江戸時代であれば、筆談もできたろうが、今じゃ、まったく話にもならん、というこっちゃ。
言葉や食は文化であり、民族としてのアイディンテティーでも、あるはずなのだが、それを、いとも簡単に自ら捨て去ることのできる民族は、世界史上にも例を見ないのではないのか。
ハングルは元々が表音記号である。日本語で、この感覚を疑似体験するとなると、こんな感じになるのではなかろうか。
とうじんおどり
しゅってん: ふりーひゃっかじてん『うぃきぺでぃあ(Wikipedia)』
とうじんおどりとはちょうせんつうしんしをもしたまつりのだしものをきげんとするでんとうげいのうのひとつ。ちょうせんつうしんしをもしたおどりが「とうじん」とされているのは、えどじだいにはがいこくじんのそうしょうであったためである。
かつてはさまざまなばしょでおこわれていたとうじんおどりだが、げんざいではみえけんすずかしひがしたまがきちょうのとうじんおどり、おかやまけんうしまどちょうのからこおどり、そしてみえけんつしのとうじんぎょうれつがのこっているだけである。
上記の文章を方言翻訳のページで、方言に変換すると、もっとリアリティがあるかも?
とはいっても、今の、かの国の民度からいったら、漢字なしのハングルは、身の丈にあったものということなのかも。
進化ではなく、退化するとは、さすが。
全く、昔も今も伝統文化を残す気も、努力もしない民族だということが証明されたわけだ。自国に都合の悪いことは、豊臣秀吉と日帝のせいってか・・・
まあ、いいや。
朝鮮通信使の鶏泥棒の図を見て思い出したのが、「韓国人武装すり集団」?
いや、終戦後のどさくさに、朝鮮は「戦勝国人」だと暴れ回っていた不逞鮮人か。
いずれにせよ、何百年も暴力的民族性だけは、変わらないようだ。
そもそも、外交使節団の一員が、他国に来て盗みを働くなど、自国に泥を塗る行為であり、言語道断といわねばないところだが。
江戸時代を「探検」する』』 山本博文 新潮社より、
と、布団まで盗んじまうというのだから、恐れ入る。
上記サイトにある、鈴木伝蔵の話で、
食器まで盗み取る朝鮮人官吏。崔天宗の情けない行動の一端であるが、これを説明する文章がある。
手を使わずに、杖を使ったわけだ。
癇癪を起こしてはいけない。と教えられていたにもかかわらず、これは国民性からか、無理だったようだが。
それにしても、朝鮮通信使とは、いったい、何様?
なのだが、世界の常識なのか、非常識なのかは、ともかくとして、朝鮮通信使には、朝鮮通信使たちなりの理由があった。
であり、どうして非難されるのか理解できなかったのだ。
理解できるだけの脳みそがなかったから?
んーっ、まぁ、それは・・・
これは、「朝鮮紀行 英国夫人の見た李朝末期 イザベラ・バード」の中の一文であるが、鶏や卵をかっぱらうのは、両班の当然の権利であり、まさに強奪者以外の何者でもない。
このことから、自国(李氏朝鮮)において、官僚や両班にとって、食い物など「勝手に盗ってよし」は普通のことであり、日本において鶏を盗んだことで、なぜ咎められるのか理解できなかったことが想像される。
「朝鮮紀行」は、日韓併合前後に、朝鮮半島を訪れた、女流紀行家イザベラ・バードが書いた紀行文であるが、一級の歴史資料でもある。
朝鮮通信使の時代とは、年代的には隔たりはあるものの、李氏朝鮮500年の間、ほとんど進化していないことを考えると、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」の中に書かれてある事柄や、高級官僚や両班の行動様式などは特に、それほど大きな違いはないと考えられる。
「鶏盗んで何が悪い!」これ、李氏朝鮮の高級官僚、両班の常識であった。
これを読めば、日本で朝鮮通信使が行った行為も、まったく本国でやっていたことの延長でしかなかったことがわかる。
イザベラ・バードは、こうも書いてある。
これが、隣国民族が称えてやまない、あこがれの李氏朝鮮の実態である。
確かに、両班であれば、この世の春を謳歌できる・・・かも?