山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!】

文部科学委員会での社民党代議士山内惠子の質問。
まさに突込みどころ満載。
これを読むと国会議員とは、いかにお気楽で無責任なのかが、よくわかる。

特に万年野党議員は、気楽な稼業ときたもんだ!
いや無責任野党か、1度は社会党で政権の座に付いたことがあるからな。

第153回国会 文部科学委員会 第4号(平成13年11月21日(水曜日)
議題 文化芸術振興基本法案

山内惠子プロフィール
1940年 2月 20日生 北海道帯広市出身
北海道教育大学卒
1962年〜1978年 小学校教諭
1982年〜85年 北教組女性部長
1996年〜98年 日教組女性部副部長
1998年〜2000年 日教組女性部長
2000年6月 (平成12年) 第42回衆議院選挙 社民党から比例区 当選
2003年11月(平成15年) 第43回衆議院選挙 落選
前衆議院議員 山内惠子事務所 http://www.dtj.jp/yk/index1.html

しょっぱなから、こうだ。(フレーム内は、山内惠子の発言)

 名称についてですが、民主党案の方は芸術文化だったというふうに先ほどお答えありましたが、あえて文化芸術となさった理由、恐れ入ります、ほかに質問がたくさんありますので、端的にお答えいただきたいと思います。

この法案の提出者は自民党の斉藤斗志二が代表である。
なぜ、民主党案の名称について、自民党に説明を求めているのかが不明。
時間がないなら、すぐに本題に入るのが筋のはずだが、なぜ????
わけわからん。

   この法案の最後の方だったと思いますが、青少年という言葉がありますが、私は、この文言は、青少年にもう一つ少女を加えていくべき言葉だというふうに思っていますが、いかがでしょうか。

ここから、社民党フェミの真骨頂とも言える、言葉遊びが始まる。
「青少年」は既成の単語。
「青少年少女」という言葉を、たとえ法律に盛り込んだとしても、一般化するかどうかは別問題。ことばを変えたからといって、どうなるという問題でもないはずだが、言葉狩りが好きだからねぇ。

 女性差別撤廃条約を批准したときに、私は学校現場で教科書のチェックをしました。 いろいろなところにこの問題点があることがわかりました。

山内惠子は小学校の教師をしていた。 確かに、未来の日本を背負うことになる子供たちの教材はチェックする必要はある。

が、

特に音楽の中に、主語が、僕、僕らというのがあります、「ぼくらはみんな生きている」というように。学級の中の半数は女の子ですから、歌うたびに自分はという声が聞こえてくるというふうに子供たちが言っていました。

「ぼくらはみんな生きている」のフレーズがある曲の題名は
手のひらを太陽に
作詞 やなせたかし
作曲 いずみたく
ちなみに、やなせたかしは、「あんぱんマン」の作者でもある。

「歌うたびに自分はという声が聞こえてくる」とは幻聴でしょう。
それも、かなり重度の原因不明の集団幻聴と思われる。
学校で歌なんか歌っている場合ではないような。
教師ならば、まずそれに気づき対処すべきではなかったのか。

「ら」の中にあなたも入ると何度言っても、それは納得するものではありません。男中心の社会から残ってきた文言だと思います。

男中心の社会から残ってきた文言ではないと思います

「ぼくら」の中にあなたも入ると何度言っても納得しなかったというが、納得するも何も、「手のひらを太陽に」の中で、「真っ赤に流れる ぼくの血潮」のフレーズが3回も使われている。

つまり主人公は「ぼく」男の子であり、「ぼくら」といったところで、何の不都合もない。
この曲は、詩を良く読めば(普通にか)生きとし生けるすべてのものへの応援歌であることが分かる。 良い詩や曲と認められているからこそ、歌い継がれているわけだし。

むしろ、詩の意味を理解できない、児童と教師にこそ問題がある。
基礎学力を身に付ける一番大事な小学生の時に、こんな読解力のない教師から教わっていた児童たちって、カワイソ過ぎ。

 大人社会で考えれば、私たちの中に男性が入るというのに、なぜ子供たちのところはそうなのかということで言えば、少年少女世界文学全集のように、少女は入れるべきだというふうに思います。

つまり、山内惠子は「ぼくら」が入っている詩は、男女同権に反するから検閲をすべきといっているわけだ。

教科書検定には反対するくせに、検閲しろとは、これいかに。

この伝でいくと、「ぼくら」を含むここに載せられている「夜空ノムコウ」を含む425曲、すべて書き換えなきゃならんなぁ。

JASRACがなんといってくるのやら。

 時間がありませんので、そのことも含めて後でお答えをいただきたいと思います。  芸術文化活動で大変重要なのは、先ほどの質問の中にも何度もありましたけれども、思想、信条、表現の自由、創造の自由を保障することだというふうに思います。 芸術活動の生命線だと思います。

おいおい、「ぼくら」という言葉が気に入らないから変えろと言っておいて、思想、信条、表現の自由、創造の自由を保障しろとは、どういうこと。
これをダブルスタンダードという、っていうか、無茶苦茶。

 その意味では、先ほど何度も憲法が前提にあるとおっしゃるのであれば、憲法にのっとりというようなことが前文に当然あるべきだと思います。しかし、そこのところがなく、より一歩踏み込んで、自主、創造性というのでおっしゃっていますけれども、芸術活動における表現の自由ということは大変重要なことですから、これは当然前文に書くべきであったと思いますが、書かなかったのはどういう理由なのか、先ほどのとあわせてお答えいただきたいと思います。

わざわざ憲法を持ち出すまでもないからだろう。
それぐらいは、わかりそうなもんだが・・・。
社民党の最後の砦が、護憲だからか。
それとも、委員会質問や本会議における質疑の場合、憲法の言葉を入れることとでも党則にあるのかな。だって社民党だもの。

 そのことでいえば、この法案の最後の三行の部分の中で、特に最後にかかわりますが、「国際化が進展する中にあって、自己認識の基点となり、」というのは、アイデンティティーの基点となり、「文化的な伝統を尊重する心を育てる」というふうに書かれている。これは相当無理な記述だと思います。表現の自由を保障すると一方で言っていながら、このことを、子供たち、大人の自己認識の基点に、伝統を尊重する心を育てるという、これは大変問題だと思っていますので、このことを指摘して、質問したいと思います。

へっ、「文化的な伝統を尊重する心を育てる」ことの何が問題なんだ?
伝統とは、親の世代から子の世代へと伝えていくもの。
検閲して、詩を変えろと言っておいて「表現の自由」は尊重しなければならないという山内恵子の方に、相当な無理がある。

 伝統にはプラス面とマイナス面があると思います。プラス面は相当文章の中にも書いてありますので、マイナスの点についてどのように押さえていらっしゃるか、お聞きしたいと思います。

確かに、マイナス面の説明することは大切。
北朝鮮のプラス面(地上の楽園等)しか言わなかった、朝日新聞や社会党の例もあることだし。

 日本の文化というのは、大陸や半島やアジアの諸国から伝来されてきていますね。

伝来してきたものを「取捨選択」した。
これこそが、日本の文化。
宦官制度や儒教(学問としての儒学は取り入れたが儒教は宗教)科挙などは取り入れていない。日本には、馴染まないのが理由。
どっかの国のように、すべて宗主国に「右へならえ」したわけではない。

それは、ただ宅急便のように来たのじゃなくて、人々がそれを持って住みついて育つ、その中から伝統として残ってきたものがあるでしょうし、

宅急便のようだったら、どんなに良かったものか。
伝統として残ったというが、
戦後、勝手に住みついた人々の悪しき伝統のことか?

ある意味では、地方の文化の中から、権力者に立ち向かっていくに当たって、笑いに託しながら権力者批判をしたり、踊りに託しながらしていったという、芸術の進んできた道筋があるというふうに思います。

いえいえ、芸術は、むしろ権力者におもねるというか、権力者の懐に入ることによって後世に残されることの方が、はるかに多い。

たとえば、茶道が今に生きるのは千利休が信長や秀吉の庇護を受けたからだし、狩野派は、常に時の権力者と結びついていたため、狩野流の技法が存続されてきた。

権力者批判ばかりしてると抹殺されてしまい、後世に残らないからね。

 しかし、文化とか伝統こそが差別だと言っている人もいます。

ハアァ・・?

いつ?
どこで?
誰が?

ひょっとして、古いものはすべて悪。まったく新しく作り出してしまえってぇのかい?
韓国陸軍の「民族史教育」で教えられている大朝鮮帝国史のごとく。

例えば歌舞伎だとか狂言の中の表現方法はすばらしいと私も思います。 しかし、マイナス面でいえば、かなり差別的なものが含まれています。狂言なんかの中には、女を売る、買うという世界、相当書かれていると思います。 それをおもしろおかしく演じたりしているということでいえば、差別的なものを含んでいる。

だから、どうしろと?

能、狂言、歌舞伎などの伝統芸能は当時の言葉や風俗などを今に伝える、歴史的な資料としての役割も併せ持つわけだが。

ふーん、女を売る買うという演目は、舞台に掛けるな。
つまり、これも検閲して禁止しろというわけだ。

山内惠子は、戦後のGHQみたいな政策を施せといいたいわけだ。

 日常的に言えば、私のように背の大きい者も、めおと茶わんというのを見ると、女は小さな茶わんで食欲を抑えて食べる文化が今なお残っているわけです。そして、手が大きくても、めおとばし、女は小さなはしでというような文化が残っています。

女性用の茶碗が、食欲を抑えて食べる文化!
そんな話、聞いたことがない。マイ食器という考え方にも書いたが、日本の食器は、持つ人の手のサイズに合わせてある。

山内惠子が、どんだけデカイ女なのかは知らんが、自分の手のサイズに合わせて食器を選べばいいだけなんだがな。

女が、日常的にドンブリで飯で食ってる図というのも、可愛げがないように思えるのだが、こんな考え方もフェミは嫌いなんだろうな。

日本の食器は、人に優しい文化なんです。
だからこそ、子供用の箸や茶碗なんてものがある。

ヨーロッパや朝鮮の食器はすべてが同一サイズで、男女や年齢による違いがなく、いわば犬猫用食器と同じともえいる。
ためしに日本人以外にペット用食器で飯を食わせてごらんなさい。
おそらく、なんの違和感ももたず、かえって「いい食器ですね。」なんて誉められたりして。

それに、夫婦茶碗に食欲を抑えて食べる文化が含まれているのなら、今、ダイエット、ダイエットと大騒ぎしている現状をみると、めおと茶碗って現代女性の味方ともいえるのでは?

 伝統にはプラス面とマイナス面があるということを御理解していただいているということを考えるときに、日本の伝統文化、それはすばらしいとたたえるその当人が、自分の文章を毛筆ではなくてペンで書くと思います。
和とじではなくて西洋風の本をこしらえているのではないでしょうか。だからといって、文章を筆で書けというのは無理でしょう。書く方もいますけれども、ごく一部でしょう。
 本は和とじでつくるという心を育てるなんということも、それは一例であって、日本の伝統を尊重する心を育てるというところは無理があるのではないでしょうか。

和とじではなくて西洋風の本をこしらえる?
本は和とじでつくるという心を育てる?
なんじゃ、そりゃ。

山内惠子は、日本の伝統を尊重する心を育てることが、たいそう気に入らないらしい。

 夫婦別姓選択制の法案がまだ最終的に出ていませんけれども、夫の姓を名乗るということを強制しているわけではない憲法ですけれども、戦後五十何年たっても、女たちは、キャリアを持って、自分のもとの姓を使うことさえもままならない。

強制してないんだろ、憲法で。だったらいいんじゃない。
んッ。憲法。

結婚による姓の選択が、憲法条文にあったのか・・・
いやー、知らなかった。さすがは護憲、社民党。

(民法750条)夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
これって、いったい・・・・・?

護憲政党、社民党の代議士が、憲法と民法を間違えた?
まさかねぇ。ありえないでしょ。
ことあるごとに憲法、憲法と言ってる人たちだもの。

それとも、なにかい、議事録が間違ってるとでも・・
言い出しかねないからなぁ。だって社民党だもの。

夫婦別姓とは、中国や朝鮮では、

儒教の思想により女性は、嫁いだ後も一族の者として認められず、何事もその責任は実家にあるとされていました。一家の中で、妻だけが別姓で子供は父親の姓を名乗りました。
夫婦別姓について

ということなんだと。
この文化もまた、大陸からは伝わってこなかったんだなぁ。
だからこそ、儒教を日本が受け入れなかったともいえるのだが。

 一定の伝統観を子供たちの心を育てるために押しつけるような、このことをここであえて言っていきますけれども、自己認識の基点となるというところまで書いて、次に、伝統を尊重する心というわけですから、これはプラス面だけでは、斉藤議員がおっしゃるマイナス面と私の思うマイナス面は、共通しているけれども違うものもあるわけですね。

日教組の一方的な価値観(日の丸、君が代反対等)を、子供たちに押し付けることは問題ないわけ?

 時代とともに伝統の評価は変わってくるということの一つの例だというふうに思います。  この文章をあえてなぜここに入れたのかということを、ここに法案化する前の段階でちょっとお聞きしましたら、日本の人が、ここにある国際化が進行する中でにかかわって、外国へ行っても日本の伝統を何も知らぬ人がいるということをおっしゃった人がいるのですけれども、そうであれば、ある意味では、私は先日文部科学の理事の方たちとアフリカに行かせていただきましたけれども、あそこにある日本人学校へ行かせていただきましたが、実はあそこで事件があったので、門がかかっていて、そして銃を持っている方が門番として立たれていました。

問題の部分(赤字)より前の文章は、実に分かりにくい日本語だが(山内惠子の発言すべてといっていい)、あえて掲載した。それにしても、何を言いたいのやら、サッパリ分からん。

赤字部分を要約すると、安倍惠子が議員視察に行ったアフリカの日本人学校で事件があり、学校を守るために銃を持った門番が立っていたということだな。

 私は、その中に入った私の知っている北海道から来られている方にお聞きしたのですけれども、地元の方と交流していますかという質問をしましたら、何とほとんどの皆さんは地元の人たちと会話も余りしていない、自分も出ていくと怖いとおっしゃっているのですね。

外に出ていくのが怖いというのは、当然だな。
学校で事件が起こり、銃を持ったガードマンを雇わなければならないほど治安が悪いのだから。

 私は、そのことの方がもっと残念に思います。

えっ?

日本人学校に行ったら、一年間なり二年間なり、向こうの文化をしっかり味わってというか、理解をして、日本に帰ってきて子供たちに伝えてもらえるようなお仕事をされるためにも行く意味があると思って行かれるわけですから。

普通は、好むと好まざるとに関わらず、仕事の関係で家族で赴任するわけだろ。
日本に帰ってきて、子供たちに伝えるような仕事をするために行く人って、かなりの少数派では?

 そのことでいえば、私たちの社会が必要としているのは、多様性を受け入れることができる心豊かな社会という意味で、多文化共生という思想こそもっともっと育てなければ、私も、小中高大と英語を勉強してきてもなかなか会話もできない教育の中にあり、あの日本人学校の先生方の気持ちも、語学が弱いというあたりもあるのかなというところも思いましたけれども、

なるほどね。英会話が出来ないのは「教育の中」にあったわけだ。
学校の先生が言うんだから、間違いないわな。

別に、俺の責任って訳じゃなかったわけだ。「教育の中」ね。
んーっ、なるほど、なるほど、なるほどね。

ところで、「教育の中」って、どこ?

では、なぜ銃で守らなければならないあの世界、どなたかが亡くなった例があったそうですから、でも、それはある意味で、銃を向けられる日本人社会を批判してのことだったとしたら、もっと私たちは現地に飛び込んでいく、多文化共生が重要だというふうに思います。

人が死んでるんだぞ!
子供たちを、銃で守らなければならないのは当然だろう。

日本人学校で殺人事件が起きたのは日本人社会を批判したものであり、殺された人間、あるいは日本人が悪いと言いたいわけか。

それでも、銃口の前に身を晒し、もっと現地に飛び込んでいけ!てか、

なんとも、これが日本の国会議員の口から出た言葉とは・・・

 先ほど言いましたように、日本の文化は大陸から来たものであるということを考えれば、いろいろな文化がある。しかも、この中でもいろいろな文化を尊重するという精神は書かれているというふうに思いますが、私は北海道ですからアイヌの文化、沖縄の方だったら沖縄の文化、それから日本に住んでいる在日朝鮮の方々の文化。

日本の文化がすべて大陸から来たものでないのは常識。
だからこそ、アイヌ文化や沖縄文化があるわけで、 これを、日本の国が守っていかなければならないのは当然のこと。

「私は北海道ですからアイヌの文化」は、在日朝鮮の文化へ無理矢理もっていくための、枕ことばとして使っただけかよ。

殺人事件がおこった日本人学校の父兄や生徒には「おまえらが悪い」と言いながら、在日朝鮮の文化を守れとは、ねぇ。

 これは、日本に住んで、もう日本語でしか話せない子供たちが大人になっているというぐらいですし、この在日朝鮮の方たちが映画をつくって、私は、岩波ホールで見せていただいた映画の中にも、在日韓国人、在日朝鮮人の方たちがつくられた感動するような作品を見たことがございますが、そういう人たちが賞をとったとかいうことは余り聞いたことがありません。それは最後の部分です。

日本語しか話せない在日朝鮮人って、親の世代が自国の言葉や文化を伝えなかっただけであり、それは日本の国とは、なんら関係のない話。帰化するのは簡単なわけだし、それを拒んでいるのは在日自身の問題。

それに、賞を取る取らんの問題は、単に「つまらん」か質が悪いというだけではないのかね。それとも、政治的圧力によって、賞を与えるべきだとでも・・・

 アイヌ文化、沖縄の文化を保障していくという点では皆さん御理解いただいていると思いますけれども、そういう方々の芸術もこの分野に含まれているのかどうか、お聞かせいただきたいと思います。

やっぱり、アイヌや沖縄の文化には興味がなさそうだ。
それに、日本は、ここまで在日朝鮮人に譲歩している。
在日特権
10分で分かる在日特権Q&A

そして、山内惠子が守ろうとしている在日とは?

在日本大韓民国民団
民潭のめざすもの
大韓民国の国是を遵守する
在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します。

ここは韓国ではなく、日本だ。
大韓民国の憲法と法律を遵守する人間たちを保証する必要があるのか。

南が南なら、北も北。

在日本朝鮮人総連合会
朝鮮総連映画部作成  総連神戸本部捜査時の衝撃映像。
http://www.elufa.net/main/hyougo/hyougosousa.asf

こいつらに、これ以上の特権を与えたら・・・・。

地元北海道のアイヌ文化、外国に住む在日本人の命よりも、在日朝鮮人の文化を優先する国会議員山内惠子。落選は当然だが、またぞろ復活をめざしている。

勉強不足で無責任、山内惠子は気楽な稼業が忘れられないようだが、これでいいのか日本!