村山富市は何を成し、何を成さなかったか? 】

今年は阪神淡路大震災で亡くなられた方々の13回忌にあたる。
そんな、おりもおり、当時の内閣総理大臣、村山富市がにわかに脚光を浴びることとなった。 発端は、巨大掲示板2ちゃんねるへの2007/01/21(日) 03:50:25の、この書き込みからだった。

社民党の阿部知子議員「阪神大震災で自衛隊の出動は数日後。防災も任務のはずなのに
社民党の阿部知子議員「阪神大震災で自衛隊の出動は数日後。防災も任務のはずなのに」
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1169319025/l50

この文章を載せた後の、安部知子議員のドタバタ劇の顛末は、
◆社民党議員阿部知子のトンデモ発言まとめ◆ を見ていただくとして。

当時、内閣総理大臣であった村山富市(日本社会党委員長)の行動が、

「前例のない未曾有の災害で、かつ法制度の未整備な状態では、村山以外のだれが内閣総理大臣であっても迅速な対応は不可能であった」

官かくあるべし―7人の首相に仕えて石原信雄内閣官房副長官(当時)

の言葉通りだったのかどうかを時系列で追い、村山総理が、阪神淡路大震災で、何を為し、何を為さなかったのか?

また、安部知子議員の
「国民を災害から守ることを任務とされているはず の自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。
日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働く ことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。」
も合わて検証してみたい。

時系列データは、中華奴隷ではない一市民氏のホームページ
韓国より遅れて対策本部作った村山、ダイエーより対処遅れた村山♪
を使用させていただき補足・説明を加えた。

赤は自衛隊の行動。紫は村山総理(官邸)の行動

17日
05:46 地震発生
発生時刻は日本時間1月17日午前5時46分52秒。
震源・規模は淡路島北部深さ16km、マグ二チュード7.2。

平成7年1月17日、5時46分、淡路島(北緯34度36分、東経135度02分)を震央とする強い地震が発生した。
死者・不明者6,436人、負傷者43,792人、焼失面積834,663uを記録し、最大約310,000人の避難者を出した災害である。災害の特徴としては、淡路島から神戸、芦屋、西宮、宝塚にかけた帯状の地域で震度7を観測し、その地域が日本有数の大都市の中心部を横切っていたため大規模な被害となった。
阪神・淡路大震災の概説
05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。
05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始
近畿二府四県は第三師団 (八駐屯地、十三部隊、五千人)の守備範囲だが、うち芦屋川以東の兵庫県と 大和川以北の大阪府を警備区域とする伊丹駐屯地の第三十六普通科連隊(八百 五十人)は出動要請前に態勢を完全に整えていた。
営舎内にいた隊員約三百人 による部隊編成が始まったのは、地震発生四分後の一月十七日午前五時五十分 である。
記録 阪神大震災−20 発生4分後から部隊編成
06:00 CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。神戸で大地震」と報道。
世界百四十二か国、約一億五千万人の視聴者に向けて、大地震を特報したのは 「湾岸戦争」をライブ中継して名をはせた
米ジョージア州アトランタに本社を 置く「CNN」だった。
日本時間午前六時。地震発生から十四分後だ。
しかもワールドニュースのトッ プだった。
「マグニチュード7・2。メジャー・アースクエイク・イン・コウ ベ・ジャパン
(神戸で大地震)」が世界を駆けた。
ロンドンは十六日午後九 時、パリ午後十時、ワシントン午後四時、モスクワ十七日午前零時。
記録 阪神大震災−29 「コウベM7.2」世界へ

兵庫県は、最新鋭の衛星通信装置を備えていた。災害時の緊急通信手段とし て活用する「兵庫衛星通信ネットワーク」。
九一年十二月に八十二億円を投じ た防災行政無線だ。
通信衛星「スーパーバードB」を使って県内の九十一市町 のほか、消防本部、第五管区海上保安本部など計百七十二局を結んでいる。
災害時には、電話が切れても被害状況を国土庁と消防庁、二十道県に速報で きるシステムだが、地震に痛撃された。
地震発生と同時に停電となり、非常用発電装置が作動したものの、やがてダ ウン。庁舎屋上にある発電装置の冷却水槽が引っくり返り、長さ四十メートル の送水パイプも切断され、衛星通信は機能しなかった。
もう一つ悪条件が重なった。
このシステム運用の専門家、情報管理課の衛星 通信係四人は、家族が家具の下敷きになるなどして、登庁できなかった。
記録 阪神大震災−17 「被害甚大。それ以上は不明」
06:00 村山起床。テレビで震災を知る。
06:20 テレビで急報を知ったダイエー中内功社長出社
ダイエーの対応は早かった。
発生直後、東京・田園調布の自宅テレビで知っ た社長中内功(いさお)(七二)が「関西で大地震や」と、長男の副社長潤 (じゅん)(四〇)に電話。
潤は午前六時二十分、東京・芝公園の浜松町オ フィスセンターに着いた。
地震からわずか三十四分後の出社だ。
記録 阪神大震災−56 「緊急物資送れ店を開けよ」
06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。 4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。
1994年北海道東方沖地震
1994年10月4日22時23分頃に発生した。最大震度は釧路市で震度6、震源の深さは約20キロ、地震の規模はM8.2で1993年釧路沖地震と同じ海洋プレート内地震である。日本近海の地震としては、平成に入って初めてM8を観測した。

平成6年(1994)10月5日 RF-4E型機で地震に伴う偵察任務中、墜落し死亡。1名(殉職) (北海道長万部町静狩峠付近に墜落) 
衆議院議員照屋寛徳君提出賞恤金制度に関する質問に対する答弁書
4-1 4. 自衛隊機の事故調査(PDF)

RF-4E/EJ
各種情報の収集、戦果判定等の最重要任務に就く。
RF-4E戦術偵察機には武装がないがRF-4EJは武装も搭載可能。
偵察任務に使用する光学カメラは、低高度用パノラマカメラと高々度用パノラマカメラを装備するほか、赤外線偵察装置、前方偵察カメラ等を搭載している。
航空自衛隊の偵察航空隊501飛行隊は百里基地にある。
航空機事故や災害派遣でも真っ先に飛び、状況の確認など大変活躍している。
現在は、F-4EJ要撃戦闘機を改造したRF-4EJが採用されている
RF-4E/EJ偵察機 ミリタリーパワーズ
06:30 中部方面総監部非常勤務体制
トップの松島悠佐(ゆうすけ)総監(65)=現・ダイキン工業顧問=は、「午前五時四十六分」の揺れを感じ、寝間着のまま庭に飛び出した。昭和初期に建てられた木造平屋の官舎は、壁が傾いた。
午前六時二十分ごろ、総監部から部下が駆け付けた。
主要な幕僚が集まりつつあるとの報告を受け、午前六時半、全部隊に非常勤務態勢を命じた。
史上最大の派遣 震災から10年 守れいのちを 第3部 1.涙 
陸自中部方面総監部が全員を非常呼集(サンデー毎日、95.2.19)
06:30 村山、園田源三秘書官に、電話で、状況把握を指示
(園田本人は「そのような事実は無かった」と否定)。
06:30 警察庁が地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す
06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動
本部二階の情報所。六時三十五分、県警伊丹署から第三師団当直を介して 「阪急伊丹駅が倒壊、生き埋めあり」との救助要請が入った。
「見に行け」。
連隊長の黒川雄三(五〇)は直ちに指示。四人が南二・五キロの現場へ向かう。
防衛庁施設近くで災害が発生した場合、自衛隊法八三条三項によって部隊 長の判断で隊員を「近傍派遣」出来る。
間もなく、「警官二人生き埋め、一人は生存」との無線が飛び込んできた。
すでに約五百五十人が待機中だ。黒川は最初の部隊派遣を決断した。
副連隊長 安部勝馬(五二)を指揮官に、第一中隊長小川清史(三四)ら第一中隊四十八 人に出動命令を下す。七時三十五分、隊員が高軌動車とジープ型車で出発し た。
記録 阪神大震災−20 発生4分後から部隊編成
06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集
07:00 スイス災害救助隊、在京スイス大使館へ、日本政府への援助申し入れを指示
07:00 金重凱之秘書が国土庁防災局に電話で状況確認し、村山に「特にこれといった情報は入っていない」と報告。
07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。
七時十四分、八尾空港を陸自中部方面隊のジェット偵察ヘリ「OH―6」が 飛ぶ。
目指すのは、震源地。地震出動の第一番機だ。
十六分後、第三師団飛行 隊ヘリが二番機として離陸した。
一番機の機長木崎徹(四三)から報告。
「須 磨東、火災多数」。
二番機の機長岡山昇(四一)は西宮市の阪神高速神戸線上 空で、ビニールシートを発見。「ケガ人」とある。
被災地の人々は自分が出来 る方法で、救助を求めていた。
記録 阪神大震災−20 発生4分後から部隊編成
07:30 村山総理に一報
二階の「地震を知ったのは、いつか」という質問に対し、村山首相が答えた。
「この地震災害の発生直後の午前六時過ぎのテレビで、まず第一に知りました。
直ちに秘書官に連絡をいたしまして、国土庁等からの情報収集を命じながら、午前七時三十分ごろには第一回目の報告がございまして、甚大な被害に大きく発展する可能性があるということを承りました……午前十時からの閣議におきまして非常災害対策本部を設置いたしまして、政府調査団の派遣を決めるなど、万全の対応をとってきたつもりです」
 しかし、地震発生当日の午後零時五十分、村山首相は記者団に対し、
「七時半に秘書官から聞いた」とコメントしている。
新進党阪神大地震災害現地対策本部長

自衛隊法
(自衛隊の任務)
第3条 自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、 直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、 必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。
第2章 指揮監督
(内閣総理大臣の指揮監督権)
第7条 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。
(長官の指揮監督権)
第8条 長官は、内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する。
07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進
07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援
07:50 石原信雄官房副長官、川崎市の自宅を出発。
07:58 阪急伊丹駅救助活動48人
08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
08:00 ダイエーが地震対策会議。中内社長、販売統括本部長にヘリコプターで神戸へ飛ぶよう指示。おにぎり、弁当など1,000食分と簡易衛星通信装置を搭載。
08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。
08:20 西宮市民家出動206人
08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず
08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
08:30 セブンイレブン災害対策本部、被災地店舗へおにぎりをヘリ空輸開始。
08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。
兵庫県が自衛隊出動にしゅん巡していたころ、新党さきがけ代議士高見裕一 (三九)はがれきの下で人々がうめく東灘区の現場から、携帯電話で出動を必 死で防衛庁に直訴していた。
県の派遣要請よりも一時間二十分も早い、午前八 時四十分−−。
記録 阪神大震災−19 目前の惨状 発表と落差
08:50 韓国政府、「日本関西地域非常対策本部」(本部長・金勝英=キム・スンヨン=在外国民領事局長)設置
韓国大使館はこの一報を緊急電として韓国外務省に打電した。
電文を見た孔は 八時五十分、東北アジア課職員七人、在外国民課職員十人で「日本関西地域非 常対策本部」(本部長・金勝英=キム・スンヨン=在外国民領事局長)を設 置。大使館も十分後、韓国民団中央本部事務総長の金忠一(キム・チュンイ ル)(六九)に電話、「本国に対策本部ができた。

政府は人的被害の調査を急 いでいる」と伝えた。韓国も神戸も動き始めた。
地震が起きた日本で国土庁長官の小沢潔(六七)を本部長とする非常災害対策 本部がスタートしたのは隣国より二時間二十五分遅れの午前十一時十五分だっ た。
戦後、三八度線を挟んで朝鮮民主主義人民共和国と対峙(たいじ)してき た韓国、ずっと平和だった日本。両国政府の危機意識の差は歴然としていた。

記録 阪神大震災−23 2時間も早かった韓国対策本部
08:50 石原信雄官房副長官到着。「現地は相当酷い」とコメント。
08:53 五十嵐広三官房長官「非常災害対策本部を設置し小沢潔国土庁長官を現地に派遣する」と発表。
09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。
09:05 国土庁が県に派遣要請促す
09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。
首相の村山富市(七一)は、この日の予定時間を五十二分繰り上げ八時二十六分に官邸入り。
九時十九分、取材陣に「大変な状況だな。被害が大きくなっているようだし、非常災害対策本部の設置も考えねば。国土庁長官を派遣する」。
首相の視察はと、聞かれ「もう少し、状況を見ないと」。
即断を避けた。
記録 阪神大震災−19 目前の惨状 発表と落差
09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し
09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港
09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。
10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。
10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。
自衛隊の最高指揮官は首相である。
必要を感じれば、災害対策基本法の百五条に基づく各種の強制的な規制など総理に権限を広く集め、 効力のある「緊急災害対策本部」を早急につくれる。
そうすれば蔵相の了解なしに予備費の支出もできた。
とりあえず、食費などの資金的援助が迅速にできたではないか。」
中略
「ところが、村山首相はあまり権限のおよばない、 法律の裏付けもない「非常災害対策本部」を設置しただけであった。」
そもそも災害対策基本法は、昭和三十六年、池田内閣のときに成立した。が、そのとき社会党は、この法案に執拗に反対した。
新進党阪神大地震災害現地対策本部長

災害対策基本法
第八章 災害緊急事態(災害緊急事態の布告)

第百五条  非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる。
10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)
自衛隊出動のゴーサインとなる県の「災害派遣要請」。あらゆる公式文書が「十七日午前十時」とするが、実際には、確たる時刻はない。
林さんの記憶では、県庁に二度目の電話がつながったのは「午前十時十五分ごろ」。担当者からその報告を受けた後、上級部隊に災害派遣要請の時刻をどう報告するか問われ、「十時にする」と答えたという。
電話の内容も、県の積極的な要請ではない。
自衛隊「この連絡をもって、災害派遣要請としてよろしいか」
県「お願いします」
知事は事後了承だった。県と陸自との間で派遣要請の文書が交わされるのは、さらにこの十一日後のことだ。
震災10年守れ いのちを 第3部 史上最大の派遣
10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令
(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)
災害派遣要請を受けた第三師団は総勢五千人。
中部方面管内部隊の応援を得 て、三千三百三十三人を投入するという空前の陣容で派遣を決定した。
重迫け ん引車、高軌道車、トラックに乗った部隊が動きだした。
ところが、想定を超えた大交通渋滞が待っていた。
神戸市を受け持つ第三特 科連隊は、県庁に向かった連絡幹部から「進まない」との連絡を受けていた。
国道二号線で民間の車をどなるようにしても、進まない。
十時十五分に出発す る本隊三十六台(二百十五人)に林はパトカーをつけた。
記録 阪神大震災−21 第3師団3300人「進めぬ」

※パトカーの先導※ 災害対策基本法
(災害時における交通の規制等)

第76条の3 警察官は、通行禁止区域等において、車両その他の物件が緊急通行車両の通行の妨害となることにより災害応急対策の実施に著しい支障が生じるおそれがあると認めるときは、当該車両その他の物件の占有者、所有者又は管理者に対し、当該車両その他の物件を付近の道路外の場所へ移動することその他当該通行禁止区域等における緊急通行車両の円滑な通行を確保するため必要な措置をとることを命ずることができる。

2 前項の場合において、同項の規定による措置をとることを命ぜられた者が当該措置をとらないとき又はその命令の相手方が現場にいないために当該措置をとることを命ずることができないときは、警察官は、自ら当該措置をとることができる。この場合において、警察官は、当該措置をとるためやむを得ない限度において、当該措置に係る車両その他の物件を破損することができる。

3 前2項の規定は、警察官がその場にいない場合に限り、災害派遣を命ぜられた部隊等の自衛官の職務の執行について準用する。この場合において、第1項中「緊急通行車両の通行」とあるのは「自衛隊用緊急通行車両(自衛隊の使用する緊急通行車両で災害応急対策の実施のため運転中のものをいう。以下この項において同じ。)の通行」と、「緊急通行車両の円滑な通行」とあるのは「自衛隊用緊急通行車両の円滑な通行」と読み替えるものとする。

10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリコプターで県庁に到着、県災害対策本部の会議に参加
11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、
「状況見て、必要があればね」。
「総理は行く用意はありますか?」、
「そうそう、状況を見て、必要があればね」。

11:00 村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。
「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」と発言。

11:00 京都機動部隊が兵庫入り。
11:15 村山、廊下で記者に、山花貞夫前社会党委員長の新党結成問題に関して、「山花氏は自制してもう少し話し合いをして欲しい」とコメント。
政界は慌ただしかった。
十七日に新民主連合会長の山花貞夫(五八)ら二十 四人が社会党執行部に会派離脱届を出す手はず。
社会党が分裂の危機を迎えて いる。
それをけん制するかのように、首相公邸は新党さきがけの幹部らが出入 り。
永田町のけん騒は翌日も続くはずだった。
記録 阪神大震災−2 明日のスケジュール信じ

山花氏ら24人 会派届けを提出 離党届けきょう中にも
山花氏らは17日午前、衆参両院に分けて、国会対策委員会などに衆院17人、参院7人の会派離脱届を提出した。
山花氏は提出後、
「新党に向けて全党のさきがけとなって行動する」と強調するとともに、離党届については「中執委の状況を見極めて考えたい」と語った。
阪神大震災当日の『朝日』夕刊4面 東アジア黙示禄
11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)
11:30 非常対策本部第1回会議
連絡会議に続く第一回災害対策本部会議には、本部長の国土庁長官小沢潔 (六七)が出席。「対策に万全を。急ぎ調査団を派遣する」と力を込めた。
出 席者全員にB5判の「非常災害対策本部決定事項案」が配布された。
内容は、 余震警戒など過去の地震を参考にしたマニュアルにすぎなかった。
出席者は各 省庁に帰り、午後二時の政府調査団の派遣準備に入った。
記録 阪神大震災−34 首相の顔色が変わった 
11:34 五十嵐官房長官、記者に社会党分裂問題を聞かれ、「それどころじゃない」と発言し首相執務室入り。現地で被災した新党さきがけ高見裕一からの電話情報を元に、村山に事態の重大さを力説。
12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑
高見は懸命だった。
自分の周りで起きていることの情報を、秘書から県東京事務所を経由して県に送り続けた。午前中で五十件余り。
声がつぶれてしまった。
十時ごろには、灘区備後町の康雄会西病院にいた。
ここには別の異様な光景があった。
毛布に包まれた遺体が廊下にいくつも横たわっている。
まるで野戦病院だ。いったい何人死んでいるのか。
午前九時五十分、消防庁発表(第三報)。
「死者一、負傷者五十二、火災二十二、住宅損壊六……」
記録 阪神大震災−19 目前の惨状 発表と落差
12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。
村山「え!?」と驚愕。

村山は社会党党首として官邸で政府与党首脳連絡会議に臨んでいた。
自民党 党首で外相の河野洋平(五八)、さきがけ党首で蔵相の武村正義(六〇)と各党間の政策調整を行う場である。
そこへ官房長官の五十嵐広三(六九)が
「地 震の死者百九十」とのメモを手渡すと、村山は「エーッ」と声を上げた。
直後 に訂正のメモが入り、五十嵐が「二百三人」と報告すると、首相の顔色が変わ り、黙りこんだ。
記録 阪神大震災−34 首相の顔色が変わった

この日の村山のスケジュールは
「午前九時二十分、月例経済報告」
「十時、閣議」
「十一時、二十一世紀地球環境懇話会」
「正午、政府・与党首脳連絡会議」
「午後零時五十分、菜の花キャンペーン」
「四時半、米統合参謀議長表敬」
「四時五十分、沖縄県知事表敬」。
だが、村山がキャンセルしたのは「菜の花」だけだった。
記録 阪神大震災−34 首相の顔色が変わった

昨春、岩切は「首相に菜の花を届けたい」と頼み、上山が三か月がかりで十分間の面会を実現させ た。  
首相、村山富市(七一)との面会を前に、食堂の電話が鳴った。
「ご存じの 通りの状況です。いかがなものでしょう」。
首相官邸秘書官からだった。
上山 は岩切と相談。「残念ですが、今回は辞退します」と伝えた。
記録 阪神大震災−34 首相の顔色が変わった

給水支援活動は17日12時30分伊丹市に対して開始されたのを皮切りに翌日には第10師団および第13師団より2個給水支援隊の増援を受けて開始された。
最初の給水支援は「3師行災命第1-4号電(7.1.17 1440)」に基づくものであったが「3師付行災命第1-2号(7.1.17  1500)」による部隊の出発時間は12時30分とされており、15時30分頃には伊丹市内の小学校で自衛隊の給水支援が行われていたことが記録されている。(5)
自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ 2.給水支援活動
12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。
13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。
13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念
13:30 大阪消防局隊応援部隊到着
午後一時半、警察庁発表
「死者四百三十九、負傷者千三百七十七、不明者五百八十三、倒壊家屋千九百七十一……」
記録 阪神大震災−1 前夜いつもの生活があった
13:50 社会党臨時中央執行委員会が「党内事情より災害復旧を優先すべき」として、山花氏の離党届を保留。
東京・赤坂の防衛庁本館三階。
午後二時、防衛局長村田直昭(五七)の電話 が鳴る。
「テレビで見る限り警察や消防は動いているが、自衛隊の姿が少な い」。
官房副長官、石原信雄(六八)だ。
兵庫県の災害派遣要請の遅れもあ り、姫路駐屯地の第三特科連隊がようやく神戸市入りしただけだった。
官邸に は自衛隊の行動が緩慢に映っているようだ。
「部隊は出動していますが、交通渋滞に遭い、現場到着したばかりです。自 治体も混乱しており、情報も少ない。全力でやってます」と村田。
「もっと総 力を挙げて、大量動員して下さい」。
電話が切れた。
焦っているのは村田も同 じだ。
効果的な部隊投入には情報集約が不可欠だが、手元には断片情報とテレ ビ映像しかない。
記録 阪神大震災−40 自衛隊の空撮 届かない
14:07 村山総理、定例勉強会出席
午後二時七分、首相官邸で恒例の勉強会が始まる。
首相村山富市(七一)ら政府首脳が首席内閣参事官の羽毛田信吾(五三)を交 え、二十日開会の国会施政方針演説に形だけの「震災」の文言を入れる作業を 進めていた。
記録 阪神大震災−44 日本の悲劇 他人事でない
14:30 小沢国土庁長官、現地空中視察へ
午後二時四十五分、警察庁発表(第八報)
「死者五百九十七、負傷者二千百九十八、不明者五百三十一、倒壊家屋二千 十三……」
記録 阪神大震災−1 前夜いつもの生活があった
15:36 河野洋平外相「総理は人命救助と消火に力を入れるようにといっていた。総理が現地に行くのは国土庁長官からの報告があってからのようだ」とコメント。
15時40分、小沢国土庁長官らが自衛隊機で伊丹空港に到着。ヘリコプターで災害地域を上空から視察。(アサヒ・グラフ、95.2.1) 
県庁で会見した小沢は「惨状に胸が痛む」と述べた。
このころ、避難所は市民で埋まり、水も食糧もない。空腹を抱え、救援物資を待っていた。 一個のお握りを数人で分け合う光景も。 少し歩けばそういう実情も見られたのだが、視察団はそのまま宿舎へ引き揚げた。
小沢らのこの日の夕食は一階レストラン「カトレア」に用意されていた。
定価五千円の神戸ビーフのステーキコース。
県が視察団を心遣ってのごちそうだった。
記録 阪神大震災−1 前夜いつもの生活があった
15:58 村山、廊下で記者の「改めて聞くが、総理が現地に行く可能性は?」との質問に「明日、国土庁長官から現地の状態を聞いてな」とコメント。
16:00 村山総理、地震後初の記者会見。「関東大震災以来、最大の都市型災害だ。人命救助、救援の万全を期したい」、「近く現地入りする」(初めて現地入りを明言)。5分で終了。
18:00 補給艦「ゆら」が姫路港に入港。緊急物資を積載し、神戸に向かう。
19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
21:00 兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請
筑紫「温泉」発言。火災の猛烈な業火で立ち上る煙を見て。
激震で平和な暮らしを奪われた被災者九万二千九十六人は一月十七日、夜の 闇(やみ)の中で寒気と闘っていた。
冷えきったおにぎりを手に、三百三十二 か所の避難所で必死に耐え続ける。
記録 阪神大震災−82 寒気、飢えと闘う避難所
18日
辻元清美ピースボート現地入り。
印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始める。
「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、ピースボートの宣伝や、被災した喫茶店主の「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど。
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デイリーニーズ 第3号 1995・1・28
珈琲ルンバ
長田区役所の南側道路。
白いワゴン車が喫茶店として営業している。店長は和田明さん(48〉。
被災前は御蔵通りで喫茶店「アキラ」を営んでいた。もちろん店は完全に焼失。
国民金融公庫の借金だけが残った。しかし、和田さんは
「今はいい。色んな人が助けてくれている。でもいつまでも続く訳やない。」
そう言って友人達にたのみこんで借りた車にガスコンロを積み込み、移動コーヒー屋を作った。
店をかまえていた頃二三〇円だったコーヒーを一五〇円にして営業開始。
「寝てもロクな事考えへん。この先逆にこれをバネにしてでもやったるよ。 そんぐらいでなきゃアカン。 国は地震のあった十七日付で公庫の返済分をしっかり引き落としよった。これが現実や。」
彼の不撓不屈の精神に私も勇気づけられる思いだった。
〈佐々木)

ボランティア保険
長田区内でボランティア活動をされている方。
住友海上保険ではボランティア保険を取扱っています。通常、申し込みに日数等がかかりますが、今回神戸で活動される方は電話による申し込みができます。
掛け金は七日間一五二一円、十四日間で一六七五円、保証は死亡時四〇〇万円、入院時日額三千円、通院時二日額二〇〇〇円、対人保証一命につき一億円まで 一事故につき二億円、対物保証一事故につき三〇〇万円です。
なお保証部分はいずれも自己負担が一五〇〇円となります。
詳しくは住友海上保険(株)神戸支店営業四課(〇七八−三三一−八五六八)小谷もしくは石原さんまで

ピースポートとは?
ピースボートは大型客船をチャーターし、アジアを中心とした世界各地を訪れ、さまざまな交流を行うNGOです。
地球一周やベトナム、中国等を訪れるクルーズを一九八三年から一六回行ってきました。また、カンボジアなどへの医療物資援助、現地の環境調査も行い、地球規模での市民交流を目指すグループです。
※ご意見箱を避難所に設置しています。ご利用下さい。

断水の灘区マンション前に給水車が。住人の宗教学者、京都精華大教授笠原 芳光(六八)は車の「天理教」の小さな文字に宗教ボランティアと気づいた が、青年は布教活動をせず、給水だけして立ち去った。
「こんな時、布教はす るな」という表統領畑林清次(六九)の指示が徹底していた。
関東大震災時、 宗教者は地震を「天譴(てんけん)」と説き、終末観をあおった。
災害を教勢 拡大の機会にしたのだ。
笠原は「日本の宗教は成熟した」と感銘を受けた。
記録 阪神大震災−85 宗派の壁越え救援

時間の経過とともに被害が拡大している兵庫県南部地震に対する企業の援助活動が本格化してきた。おにぎりやや飲料水を届けたり、電機メーカーが業務用無線機を無償で貸与する例もある。  
大手スーパーのイトーヨーカ堂は18日、兵庫県対策本部に、おにぎり22,000個、ミネラルウォーター4,320本、ウーロン茶25,000本をヘリコプター5機による空輸と緊急車両による陸上輸送で届けた。
19日も継続する。
ニチイやジャスコも非常食や飲料水を送った。
(時事通信、95.1.18)
08:00 海上自衛隊補給艦七隻が非常用食料10万食と飲料水1620tを積載し呉を出港。
09:46 初の緊急閣議
11:40 海上自衛隊徳島航空隊が海上自衛隊阪神基地に救護用の食料を空輸。
13:00 自衛隊5200人と陸上自衛隊ヘリ65機が王子公園を拠点に救助活動、物資輸送を開始。
19日
村山、記者会見で「高架に木切れ等が紛れ込んでいたが、欠陥工事ではないか?」との女性記者の質問に、
「そんなことは後で調べる。今はそれどころではない」と激昂(結局その後の調査なし)。

11:32 村山首相と土井たか子衆議院議長が伊丹空港に到着。
村山土井、ヘリで現地視察。灘区の王子公園陸上競技場に着陸。

当時救助に当たっていた自衛隊ヘリには、王子グラウンドヘリポート以外への着陸を禁止していた。
11時40分頃、羽田空港を自衛隊機で出発した村山首相が被災地視察のため大阪空港に到着、土井たか子衆議院議長とともに政府専用ヘリコプターで上空から視察。(アサヒ・グラフ、95.2.1) 
◎ 防災ヘリポートの使用は1か所だけ
神戸市内の防災用ヘリポート12か所のうち、阪神大震災当日に物資輸送のため自衛隊が使用できたのはわずか1か所だけだったことが、30日までに明らかになった。ヘリポートが被害を受けていたり、指定地域に住民が避難していたことに加え、市街地に防災用ヘリポートが指定されていなかったことが主な原因で、避難住民に対する非常用食料の輸送が遅れたケースもあった。

一方「緊急用として想定していた学校の校庭などは、避難住民で膨れ上がり、全く使用できないことも今回の地震で明らかになった」との指摘もあり、防衛庁では全国の自衛隊に対し、地元自治体の防災担当者を交え、災害時に使用できるヘリポート適地の再調査を指示することにした。(読売新聞、95.1.30)
航空の現代:阪神大震災  

神戸市の王子公園陸上競技場。政府専用ヘリ「スーパーピューマ」から村山が降り立つ。
「ひどい。想像を絶する」。
一時間余り、上空から被災地を見た だけに表情は硬かった。
村山は衆議院議長土井たか子(六六)、国土庁防災局 長村瀬興一(五四)ら十六人とバスに乗り、県交通安全対策室長笹川敬(五 八)の案内でまず大火があった長田へ。本館五階が崩れた市立神戸西市民病院を十分で済ませ、近くの蓮池小へ。
村 山は老婦人に「頑張って」と励ましたが、ここも六分。
千五百人が避難、臨時 電話や衣料品配給所に並ぶ長蛇の列を見ながら足早にバスへ。強行軍の陰には 翌日からスタートする国会があった。
死者が三千人を突破、戦後最悪の震災に 対する政府の対応のまずさがやり玉に挙げられていた。
被災地視察もしないで 国会には臨めない。
記録 阪神大震災−95 天皇のお言葉漏らした
クリントン在日米軍支援申し入れ。救助犬、発電機、航空機、横須賀母港の空母インディペンデンスを救護拠点とした救援活動を申し入れるも、村山拒否。毛布37000枚のみ輸送機で到着。
在日米軍の動きは的確だった。
まず、毛布、水など十三項目の物資援助リス トを外務省へ。
十九日未明に相模の補給廠(しょう)から毛布五万七千四百六 十枚を大阪空港へピストン空輸。
二十二日には沖縄海兵隊七十四人が灘小など 灘区四か所で縦十五メートル、横五メートル、高さ四メートルのテントを張っ た。
国内におり、装備がそろっていることもあり、地元の必要に応じて反応し た。
海外援助は被災地を勇気づけた。
だが、受け入れを決断した外相河野は
「外 交的配慮もあり、地元のニーズは考えない」と、現地の状況を無視した。
地元 に配慮しない受け入れは、人命救助に追われる現地のスタッフにかなりの負担 となり、問題も残した。
海外からの申し出は七十六件、政府はその後、四十二 件を受け入れた。
記録 阪神大震災−91 海外救助隊への戸惑い
山口組幹部宅で物資分配
実は阪神大震災のときに、最初に飲料水配ったり、炊き出しやってたのって 山口組なんだよね。
村山の馬鹿のせいで、救援物資がかなり遅れたから、自宅に地下水の汲み上げ装置 かなんか持ってる山口組本家で、水を分けてあげてたら、人がけっこう集まりだし たんで、全国の直系組長に指令出して、食料からミルク、オムツ、生理用品まで 神戸までピストン輸送してたらしい。
炊き出しもやって、その時皆に豚汁やらお握りやらを先頭になって配ってた中 には、現六代目の司忍組長もいたようだ。
この話は、海外メディアでも結構話題になって、日本にはまだ古来の任侠道が のこってた、と好意的に報道されたみたい。
最初は感謝しまくりだった住民も、自衛隊その他の救援物資が届き始めると、 次第に本家の前から人がいなくなり、警察も露骨に住民に、「あいつらの好意を 受けると、後で脅迫される」云々の噂を流し始めたので、配給を少しずつ縮小して、 人が来なくなるのをまって、打ち切ったそうです。
2ちゃんねる掲示板への書き込み
20:00 神戸市に入る国道2号線などを災害対策基本法に基づき一般車両通行を禁止にする。
十九日夕、天皇陛下に被災地を視察した状況を内奏。
入閣したばかりで緊張していた。
終了後、皇居宮殿西車寄せで記者団に囲まれ、うかつにも天皇のお言葉を漏らしてしまう。
「私に対するねぎらいや地方公共団体、関係各県へもお言葉があった。とりわけ救出にあたる自衛隊員によろしくお伝えいただきたい、とのありがたいお話があった」と。皇室と自衛隊、政治が絡む微妙な問題だけに、内奏模様を外部に漏らしたとの反発が一気に噴き上げた。
七三年、防衛庁長官が同じ「禁」を犯して辞任に追い込まれたことなど、小沢には考え及びもしなかった。
その帰結ともいうべきか、翌日には非常災害対策本部長のポストすら追われ、北海道沖縄開発庁長官小里貞利(六四)と交代する。
記録 阪神大震災−95 天皇のお言葉漏らした
20日
通常国会招集
[009/009] 132 - 衆 - 本会議 - 1号
平成07年01月20日
村山富市
今から振り返って考えてみますると、何分初めての経験でもございますし、 早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われまするけれども、 いずれにいたしましても、防災上の危機管理体制の充実は極めて重要な課題であると 認識をしておりまして、今回の経験にかんがみながら、今後見直すべき点は見直すこととして、 危機管理体制の強化に努力をしてまいりたいと考えているところでございます。
筑紫現地で、焼け跡で遺留品を探す住民に近づき、撮影するなとの叫びにもかかわらず放映。「住民は感情的になっています」と発言。
21日
筑紫「なぜ行政は、お年よりなどのために車を出せないのか。道路が危ないというが、車はたくさん走ってる。自衛隊の頑丈な車もある。」
18日より市職員10人で救援物資仕分け。交代、休憩無く、過労で次々倒れる。
その夜、筑紫「市の対策手ぬるい。個人ががんばってる。3日目までおにぎり一個しか配られなかった」
混乱が続く大震災の現場では日を重ねるにつれ、極度の疲労が人々を襲っ た。
がれきのそばで仮眠を取っては生存者の救出や遺体の搬送に追われる自衛 隊、消防、救急隊員、警官。緊急手術や処置で手いっぱいの医師や看護婦、食 料と救援物資の確保、搬送に奔走する県、市、赤十字の職員たち。
時間を忘れ て働く人々を病魔が追い詰めた。この状況下、悲劇が起こる。
(中略)
震災による公務、労働災害死百五人、負傷者九百十二人。被災者を懸命に守 ろうとした人たちの過労死は大震災のもう一つの悲劇だった。
記録 阪神大震災−97 過労死の悲劇 相次ぐ
村山国会で「なにぶん初めてのことでございますし、早朝のことでもございますから、政府の対応は最善だった」(後に全面撤回)
自衛隊艦艇4隻給水活動
新進党海部党首、村山に政治休戦申し入れるも、
「政府は国会運営携わる立場ではない」と拒否
22日
モンゴルから救援物資到着
モンゴル副首相が特別機で
モンゴル政府は21日朝、臨時閣議を開き、救援物資を送ることを決めたが、ただ送るということではなく、一刻も早く届けようとしたのだ。
毛布2100枚、手袋500組その他を直ちに政府特別機に積み込み、同副首相は国民を代表して見舞いにやってきてくれた。
(中略)
関西空港で出迎えた外務省幹部が感謝の意を表明するとともに、なが旅を労って、休息していただこうとしたが、“長居をしてご迷惑を掛けたくない”と、僅か90分だけの日本滞在で機上の人となった。
阪神・淡路大震災、頑張りました、日本や世界のボランティア
24日
村山、(交通制限や物価統制の可能な)緊急災害対策本部設置必要なしと答弁
村山首相は「緊急災害対策本部」の設置についても、衆議院の二階の質問に対する答弁では前向きな発言をしていた。が、参議院になると途端に後ろ向きの発言になってしまう。
ときには、わざわざ打ち消しの記者会見を開くこともある。
新進党阪神大地震災害現地対策本部長
25日
NEWS23が駒が林公園での右翼による炊き出しに「ああいう連中を、住民はどう思っているんですかね」とけちつける
1.直接人命救助
 今次災害で生き埋めとなった人は164,000人と推定され、そのうち要救助者は35,000人、警察・消防・自衛隊の救出者数は7,900人で、これらの組織によって救出された人の内半数はすでに死亡していたとされる。(*1)
 上記のうち、自衛隊が生存の救助をしたのは165名(内8名海自残りは陸自)で遺体収容は1,238体(内17体海自残りは陸自)となっている。(*2)
自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ 1.直接人命救助

自衛隊が震災で最大の人員を投入したのは、人命救出ではなく、給水などの生活支援や倒壊家屋の処理だった。
中でも、被災者が切実に求めたのは「水」。
史上最大の活動現場には、さまざまな混乱と葛藤(かつとう)があった。
陸自が全国から集めた給水機材の約九割は、一トントレーラー。
本来、部隊用の給水を前提としているため、容量は小さい。
大渋滞の中、何時間かけて市民のもとにたどり着いても、二十―三十分で空になる。
陸自第三特科連隊の西剛司二尉(32)は
「もっと大きな車で来られへんのか」と、何度もば声を浴びた。
自分の水筒の水やカンパンまで、被災者に差し出した。テントも渡した。
最初の数日は車両の下などで仮眠をとった。
宿営地の確保などができなければ、「自己完結型」の活動は難しい。
隊員たちは被災者の視線という予想外の“重圧”の中、食事やトイレもままならなかった。
神戸新聞Web News 史上最大の派遣 震災10年 守れ いのちを 第3部 5.水

2006年(平成18年)4月29日 村山富市(内閣総理大臣)桐花大綬章受章。


桐花章
旭日桐花大綬章は、内閣総理大臣、衆議院議長・参議院議長および最高裁判所長官の、三権の長の経験者(いずれも必ずという訳ではなく特に功績のある者に授与されている。

渡邉恒雄は「よい意味で進歩的内閣で、社会党の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績」と保守・右派・タカ派的立場から評価した。
村山富市  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

参考リンク:

目次
国会議員のお仕事
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!