第35話】 【 捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人 】

3月の行動案内(山県衛のブログへ)
3・25 講演会:「循環型社会に戦争はいらない」
〜80代、50代、20代が語る戦争体験と戦争観〜

の中で、こんな記事を見つけた。

戦後60年。戦争体験者が高齢化し、過酷な体験を話すことなく、胸にしまったままこの世を去る方が多いと聞きます。それらの体験者にとって残された時間は、後わずか。日々刻々と少なくなってきています。

「いつか来た道」を歩まないためにも今私たちに課せられた事の一つは少しでも多く貴重な証言に耳を傾け、それを語り継ぐこと。

戦時中、陸軍の特務機関員として南京周辺で活動をし、捕虜の斬首などに立ち会ってきたという中谷孝さん(80代)、ジャーナリストとして30年間に わたり各地の戦(紛)争を追い続けてきた浅井久仁臣さん(50代)、戦争を知らない私たちが語り継いでいかなくては、と元日本兵の聞き取りを一人で行い、その想いを被害にあった国の犠牲者の方々に届ける活動をする神直子(20代)がそれぞれの戦争を語ります。

これが、新聞記事になるとこうなる。

■元陸軍特務機関員が語る「南京大虐殺」  
「虐殺のなかった戦争などありえません」。第二次世界大戦当時、陸軍の特務機関員だった 男性が、南京での虐殺の様子を初めて語りました。  
「今のうちに話しておかないと、私の知っている人たちも何もしゃべらないで死んでしまった」  
中谷孝さん、85歳。今の政治状況が70年前の戦争当時と変わらないと強い危機感を覚え、 自らの戦争体験を語ることを決意したということです。  
その中谷さんは、様々な議論のある『南京大虐殺』はあったと主張します。  
「非常に興奮した(日本軍の)兵隊たちは、怪しいと思う住民を全部引っ張った。やった人が 言っていたが、『怪しいやつは、皆殺せ』ということで、殺してしまった。これが事実です」 (中谷孝さん)  
講演会では、20代のフリージャーナリストも加わり、戦争を語り継ぐ大切さが強調されました。 news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3253758.html - 26k - 2006年3月25日 -

この南京大虐殺の語り部、中谷孝氏のホームページ「日中戦争の中の青春」には、なかなかに興味深い話が書かれてある。

そして、3月25日の公演の内容は、 浅井久仁臣 グラフィティに書かれてあることと同じようなものであろう。

これだけ見れば、「南京で虐殺があった。」ということが歴史的事実であるかのように思われるかもしれない。しかし浅井久仁臣 グラフィティの中に、3月26日まであったコメントが削除されている。

その前に、中谷孝氏についての予備知識。

3・25 講演会:「循環型社会に戦争はいらない」の中に書かれている プロフィールをよく見てもらいたい。

・中谷孝(80代)
1920年東京生まれ。
1938年東京府立第一商業学校卒業。高速機関工業(株)入社。
翌39年、支那派遣軍特務機関要員となる
  43年、支那派遣軍総司令部 報道部に臨時勤務した後、
44年、再び特務機関員となる。
45年敗戦後、中国に留まり、中華民国陸軍総司令部に所属。
1946年に復員。
2001年、80歳にて退職し、執筆を始める。

これだけ見れば、なんの矛盾点もないように見える。しかし、

南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)は、日中戦争(当時は日本側は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約6週間 - 2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どうであろうか。

大虐殺(?)は、1937年に起きている。
中谷孝は、1937年には、プロフィールによると東京府立第一商業学校に在学中である。

戦時中、陸軍の特務機関員として南京周辺で活動をし、捕虜の斬首などに立ち会ってきたという中谷孝さん(80代)

この話は、いったい・・・
学生でありながら、その時期、南京にいて大虐殺を目撃したとでもいうのだろうか?

いや、そんなことは、ありうべきもない。
まず第一に、当時、徴兵制は20歳以上だ。
若年の志願兵の受け入れや学徒出陣を、やりはじめたのは終戦間際であり、大東亜戦争前の昭和12年に東京府立第一商業学校在学中の中谷が特務機関要員になぞ、なれるわけもない。

また当時、官立の学生は、徴兵免除となっていた。
経歴詐称をしていれば別だが、経歴には
1938年東京府立第一商業学校卒業。高速機関工業(株)入社。となっている。
中谷に、南京大虐殺(?)の語り部たる資格はない。

また浅井久仁臣はこうも書いている。

「南京虐殺はなかったなんてバカなことを言う人がいますが、10万人を超える捕虜を抱えて陸軍はどうしたか、考えれば分かることです。1万人の捕虜を100数十人の兵隊で監視することは不可能ですし、またそれだけの人数の食料をどうやって確保するかといったことも深刻な問題で、結局は処分するしかなかったはずです
浅井久仁臣 グラフィティ

はずです。つまり、伝聞による話と憶測で物を言っているのに過ぎないのだ。
浅井の憶測話に乗る人間は多いんだろうな。残念ながら。

それでは、「浅井久仁臣 グラフィティ」に書き込まれたコメントから、何が削除されているかだが、

中谷孝の経歴矛盾を指摘していた部分と、証拠を提示してくれるなら南京大虐殺を事実として受け止めるのも、やぶさかではないという2編がスッポリと抜け落ちているのだ。

なぜ、削除する必要があったのか?

つまり、ジャーナリスト浅井久仁臣にとって都合の悪いコメントは載せたくないというのが本音なのだろう。

中谷のHP日中戦争の中の青春に、こう書いてある。

昭和14年2月、貿易会社に就職した18歳の私は、中国に渡ることになった。 安徽省蕪湖出張所に赴任するすることになったのだ。旅の途中、南京に滞在した。http://www.geocities.jp/yuumiyamagami/nakatani1.htm

ニュース記事によると「南京での虐殺の様子を初めて語りました。」とあるが、中谷は実際、その場所に立ち会っているわけではない。 旅の途中・・ね。
なんか、こんなフレーズを歌かテレビかなんかで聞いたことがあるような・・。
それはともかく

南京大虐殺については、当時従軍した記者の証言がある。

「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりま すが、そんな話は一度も聞いたことはない。誰もそういうことを言 ったこともないし、朝日新聞では話題になったこともありません。難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。 ですから市民は安全でした。一般市民の屍体というのは一つも見て いません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたりしていました。」
(山本治氏 大阪朝日新聞記者)

「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中 で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなこ とは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、 聞いたことがない。 朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がで るはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、 見たことはしゃべれたし、書いていた。」
(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ) 

                                           
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人 聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、と いう返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」 (細川隆元氏 朝日新聞編集局長)

なんと朝日新聞の記者が、そろいもそろってすべて否定しているのだ。
天下の朝日新聞の記者がですよ。

中谷のHP日中戦争の中の青春

昭和20年、中国の戦場にいた私は、敗戦後、中国陸軍総司令部に留用されて働いた。
翌21年夏、帰国後は、その縁故で中国駐日代表団のモータープールに職を得た。
中国名でGHQのライセンスを取り、ジープで走り回る毎日だった。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200603051242020

ここから、中谷のバックボーンとキーワードが見えてくる。
80歳で退職とは、普通の会社とは言いがたいものを感じる。
そこに何かが隠されている可能性は、少なくない。

この話がすべての始まりかもしれない。
敗戦後、好きな女と一緒になって中国人となって生きていこうと決心していたものが、

当時モータープールの管理を任されて、あまりの忙しさに疲れ果てていた私は、彼女との文通が終わったのを機会に退職した。中国との縁は完全に切れたのだった。

といって、日本に帰ってきてしまっている。
このいい加減さが、ぼく自身にオーバーラップして、親近感を覚えるのだが、近すぎて拒絶反応を起こすのも事実。まわりくどい言い方だが、端的にいうと、似すぎていて嫌いだということです。

浅井久仁臣 グラフィティのコメントが削除されていると書いたが、初めに紹介した新聞記事も、たった2、3日で見事なまでに抹消されている。

Googleのキャッシュまでもが、文字化けしているというありさま。
と書いてみたが、これは、この記事だけの話ではないようですが。

普通ニュース記事の場合、一週間は、載っているはずなのだが。

これは、なにか裏にあるのか。ガセであるということが証明されたためなのか、
それとも・・・・・・・・・

陰謀論者じゃないつもりなんだが、ある意図が働いているような気がしてならない、
きょう、このごろ。


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集