第31話】 【 差別に必要なもの、それは区別 】

「バカチョンカメラ」の「ちょん」が差別語だという人がいる。
「バカチョンカメラ」は差別用語か?
http://www.pit-japan.com/ws30/sabetsu.html

この人のような考え方をしているのが、落合信彦のいう「ナイーブ』な一般的な日本人の考え方であろう。 しかし、「バカでもチョンでも」の「ちょん」が「朝鮮人」を連想させる差別用語というのは、

青木さやかの「どこ見てんのよ!」のギャグに対する答えと同じだ。

「誰も見てねぇよ。」

朝鮮人の自意識過剰?
というか被害妄想以外の何物でもない。

踊り字の「ゝ」を「ちょん」と読む。 漢字でもない中途半端な文字ということから半人前の人のことを示すようになった。 「ちょんまげ」の「ちょん」は、形状が「ゝ」に似てることから付けられた呼び名でもある。

そもそも、江戸時代には「ちょんまげ」とは言わない。「ちょんまげ」という言葉は明治になってからのもので、「ゝ」(ちょん)の字に似ているからと、嘲笑を込めて言われたらしい。なので、単に「髷(まげ)」という。

つまり「ちょん髷」と呼ばれたのは、断髪令「明治6年発布(西暦1873年)」以降の話である。しかし、明治10年(西暦1881年)には、大部分がザンギリにしていたという。(まちのかたりべ)

このことからして、ちょん髷という呼び名は、これ以降から言われ始めたものなのだろう。

西洋道中膝栗毛(仮名垣魯文)「明治3年(西暦1870年)刊」の中で「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの・」という記述が「バカちょん」の由来である。

いずれにせよ、朝鮮併合「明治43年(1910年)」以前の話であり、朝鮮人とは縁もゆかりもない。といったからとて、この「ゆかり」の話ではありませんが。

ちなみに、チョンが朝鮮人を意味する差別語だとしたら、
童歌 −光の旅へー●うんちゃんが1円もらって (ムービーあり)

うんちゃんが 1円もらってまめかって
さんすうさんてんこくごさんてん
平気で平気で のん気でのん気で しけんはれーてん
たてたてよこよこ まるかいてちょん
たてたてよこよこ まるかいてちょん
三角ひとつありました
たてたてよこよこたてたてよこよこ
たてたてよこよこ まるかいてちょん
あっというまにチンドン屋

この歌の意味が違ってきてしまう。ってゆうか、
たてたてよこよこ まるかいて朝鮮人
なんのこっちゃ・・・。

「ちょん」と付くだけで差別語だとすれば「ちょんまげ」これも差別語?
だとしたら、「許してちょんまげ」の古典的親父ギャグも言えなくなってしまうじゃないか。 つまんねぇけど、気に入ってたのに・・・   (ホントかよ?

剣道の起源は韓国にあり!?と言ってるぐらいですから、そのうち「ちょんまげ」も朝鮮が起源だ。と言い初めないとは限りませんが。

その他、ソメイヨシノ、 折り紙 、、錦鯉、 カタカナ 、などなど。
極めつけは、鉄腕アトム、ジャングル大帝、火の鳥
朝鮮起源説を唱えてます。手塚先生、どうします?

つまり「バカチョン」は、朝鮮人とは全く関係ない言葉であり、差別用語として騒ぐ方が、どうかしているということです。これで、朝鮮人の妄想と言った意味が分かっていただけたと思います。

かの国では、日本は大恩ある朝鮮に対し、植民地化を進め史上最悪の暴虐と搾取を行った。という。
アメリカにおける黒人奴隷以下の扱いを受けた。とでも言いたいのだろう。

奴隷制度は、そのまま「黒人差別」へと繋がっていく。

では、差別する側に立って考えてみたい。差別するには区別する必要がある。
黒人差別の場合、子供だろうと老人だろうと見たまんま、肌の色で区別が付く。

当時のヨーロッパ列強の植民地においても同じ事がいえる。白人と有色人種。肌の色が違うのだから区別しやすい。当然、差別するのも簡単だ。

朝鮮人を日本人は差別したというが外見から判断することは難しい。いわゆる朝鮮人顔の日本人も大勢いるし、また逆も多い。

言葉は・・・・ハングルは、日本によって奪われ日本語教育を強制されたと主張する。日帝の統治36年。日本語が本土と変わらず流暢に話す朝鮮人が多いはずだ。たぶん・・・・だとすれば、どこで区別して、差別すればいいのか。

服装か?、がこれも朝鮮的な物は、すべて禁止され史上最悪の暴虐と搾取されたとするならば、あとは名前ぐらいしかない。

大日本帝国議会貴族院議員の韓相龍・李埼鎔、 同衆議院議員の朴春琴、大日本帝国陸軍中将の洪思翊、同陸軍少将の白洪錫、同陸軍大佐の金錫源、等々。

確かに、このように朝鮮名であれば、はっきりと区別が出来る。つまり差別対象となりうる。

また創氏改名をしようとすると、いろいろと煩雑で金もかかった。
創氏改名の手続き の中の例では、戸主が本籍地の役場(当時は「面事務所」)に2回、裁判所に1回行って、1人あたり50銭の手数料を支払っている。

総督府制令第一九号の附則
「朝鮮人戸主ハ本令施行後六月以内ニ新ニ氏ヲ定メ之ヲ府尹又ハ邑面長ニ届出ヅルコトヲ要ス」

あれっ!
朝鮮名を日本人と同じような名前に変えさせて、どうやって差別するんだ??

ただし、こういう意見がある。というか、これが一般的な日本人の考え方かもしれない。 【世相百断 第36話】 創氏改名考 http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou36.htm

この中で、
38年3月には、第3次朝鮮教育令を公布し、4月には学校教育から朝鮮語教育を排除した。この年の3月31日には、平壌崇義、崇実の両校を神社参拝(皇居遥拝)拒否の理由で廃校にした。皇民化政策に非協力的なものへのみせしめである。

カトリック
太平洋戦争中、靖国神社参拝が強要された折に、反対をした学生への弾圧を受けて日本のカトリック教会は「靖国参拝は宗教活動に当たらない」との見解を出し、以後戦争に協力した。

プロテスタント
プロテスタント(当時はその殆どが日本基督教団に合同)もカトリックと同様の立場を取っていたが、殆ど全ての教会に求道者を装った特高の密偵が入り厳しい監視下に置かれ、時として牧師連行などの弾圧を受けた。殊に、四重の福音(新生、聖化、神癒、再臨)という信仰のスローガンで知られるホーリネスの日本基督教団第六部(元日本聖教会)、同第九部(元きよめ教会)、宗教結社東洋宣教会きよめ教会の三派は、その再臨信仰により国体否定・神宮冒涜の不穏結社とされ、一斉検挙により結社禁止・教会解散・牧師長期拘置などの厳しい弾圧を受け、七名の牧師が殉教した。

宗教が弾圧されたのは日本国内も同じであり、朝鮮だけ特別だったわけではない。

40年には朝鮮語による新聞『東亜日報』『朝鮮日報』の発行を禁止した。

1940年(昭和15年)までは、朝鮮語の新聞が発行されていたという。つまり、ハングルを禁止し、日本語を強要したという主張が通らなくなる。
創氏改名も1940年。

日帝36年の支配期間のうちの最後の5年間である。当時朝鮮も日本もすでに戦時体制下にあり、太平洋戦争の開戦は1941年12月8日だが、支那事変はすでに本格化していた。日本中が、火病にかかっていた時期である。朝鮮だけが特別酷かったわけではない。
参考サイト:「火病」の謎に迫る

創氏をしない家の子供は学校に入れない、子供が学校で教師ににらまれる、日本への渡航許可や生業のための許認可を出さない、労務徴用の対象とする、などということが行なわれたらしい。

韓国出身の吉野鎮雄氏から聞いた話なんだが、道(どう・県)によって多少の相違はあっただろうが、韓国人校長の場合はほとんど朝鮮語の授業を行わず、逆に日本人校長の場合はそのほとんどが週二時間宛教えていたというんだな。
当時の韓国には六年制の国民学校のほかに四年制の国民学校もあり、六年制学校の校長十名か十一名の中一名、四年制学校の校長七、八名の中一名位の割合が韓国人校長だったから、朝鮮語を教えなかった国民学校は教えた学校の一割前後にしかならなかっただろうとも言っていたよ。
「日本と韓国」 八木信雄 昭和53年 日韓文化出版社

当時、植民地政策は欧米列強にとって当たり前のことであった。世界中、植民地化する側される側の2極構造であったといっても過言ではない。
一概に現代の感覚で論ずることは出来ないのだが、李氏朝鮮が日本と同等もしくは、それに近い形で国家運営がなされていた。と考えると日本は朝鮮に一方的に酷いことをしたというのも、あながち否定することはできない。しかし

韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

朝鮮は全面否定しているが、朝鮮は支那の属国は常識。
これを見みれば一目瞭然。

最古の太極旗の絵が発見

太極旗が韓国の国旗として使用された過程を示す最古となる太極旗の絵が発見された。

 1882年7月に米海軍省(NavyDepartment)航海局(Bureau of Navigation)が発行した『海上国家の旗』(Flags of MaritimeNations)に収録されたこの太極旗は、青、赤の太極模様と黒の4卦など、現在の太極旗の原型を保っている。
 これは「4卦太極旗」を初めて製作して使用されたとされる朴泳孝(パク・ヨンホ)の渡日(1882年8〜9月)時期より2〜3カ月早いことから、多くの関心が寄せられている。

記事入力 : 2004/01/26 19:05
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 karma@chosun.com

「 大清国属 」 とはっきり書かれている。しかし、これが韓国版だと・・・・ない。
削除されている。

1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。

フランス人宣教師 シャルル・ダレ(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)


朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。
両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。
その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。
なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。

マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「朝鮮事情」

両班(リャンパン)とは朝鮮の貴族階級。「両班はキセル(タバコを吸う道具)ですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしであった。」ひたすら農民から略取することのみを行なっていた。

李氏朝鮮時代の身分制度
身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。

「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い、
さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」、「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。
「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」、「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」、「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。

「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。さらに奴婢は「公奴婢、」「私奴婢」とも「入役奴婢」と「納貢奴婢」とがあった。


「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならないが、「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。

>李氏朝鮮時代の身分制度(4)<

「大邸帳籍―1690 年-1849年」からの四方 博京城大学教授(執筆当時)
「朝鮮社会経済史研究(中)」

期間 両班 常民 奴婢 総計
1 粛宗16年(1690年) 1027人 6894人 5592人 13912人
2 英祖5年(1729年)、
同8年(1732年)
2026人 8066人 4940人 15266人
3 正祖7年(1690年)、
同10年(1786年)、
同13年(1789年)
3926人 6415人 1957人 12300人
4 哲宗9年(1858年) 6410人 2659人 4126人 13195人

哲宗9年(1858年)には、戸数の70.3%、人口の48.5%、となって、<両班大国>の様相を呈していた。支配階級が過半数を占めている。

「奴婢戸」および「奴婢人口」の正祖7年(1690年)、同10年(1786年)、同13年(1789年の急激な現象は、逃亡、放売(奴婢は売買された)による。これについても「大邸帳籍―1690 年-1849年」に記録がある。哲宗9年(1858年)の「奴婢戸」の現象が顕著であるにもかかわらず、「奴婢人口」が変動していないことは奴婢戸当たりの奴婢人口が増えていること奴婢を一まとめにしたものとされる。

粛宗16年(1690年)と哲宗9年(1858年)を比較しても、170年間の間で、人口が全く増えていないことに驚く。これは李氏朝鮮王朝の苛政である。これはこの地方の特徴ではなく、全国的な特徴である。これについては既に詳説したが、なお再度調査している。これが日本統治時代になると増加に転じ、大幅な増加となった。
李氏朝鮮時代の身分制度

果たして、これを独立した国家と呼べるのだろうか。だから侵略していいとはならないと言う人もいる。しかし、李氏朝鮮時代より日帝時代の方が悪かったというなら分かるが。
それでも李氏朝鮮時代が良かったというなら、これ以上言うべき言葉はない。

しかし、朝鮮人は、あれほど忌み嫌っていた創氏改名を、アメリカにおいて形を変え、自らの意思で励んでいるようだ。
イングリッシュ・ネームについて

英語を習うのだから、自分の名前も英語にしましょう。
中国人や韓国人の名前が呼びづらい。
だから、イングリッシュ・ネーム。「ポール」「キャロル」「ウイニー」とか・・・・
「ノビー」とか・・・あっ、これは違うな。
しかし、分からん?
中国人・韓国人の思考回路がどうなっているのか、さっぱり分からん。

のだが、ただ、これで分かったのが、【第20話】 【 日本人のメンタリティ 】の中に書いたロバート・キム事件のことだ。韓国名は、キム・チェゴン。これが米国人が呼びにくい名前なのかどうか?
ただいえることは、すぐに事大するくせに簡単に裏切る。危ないねぇ。それを祖国が英雄視する。いよいよ危ない。

それが、かの国ということか。


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集

捏造ジャーナリスト
落合信彦 増補新版

著者:奥菜秀次
出版社:鹿砦社
増補章
ポストスクリプト2005

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