第29話】 【 消された勇者たち 】

金錫源陸軍少佐(のち太佐)、洪思翊陸軍中将などが、親日人名辞典によって「売国奴」のレッテルが貼られ、朝鮮の歴史から消されようとしている。

 朝鮮人の英雄としては金鵄勲章の功三級を授与された、陸士27期卒である金錫源陸軍少佐がいます。

約千名の日本人将兵を指揮し、北支戦線の山西省では多勢の支那軍を撃破し、攻撃が難航していた行高城要塞を陥落させるという武勲をたてています。

金錫源少佐の手柄は、長年宗主国としていた支那を朝鮮人が日本人の部隊を率いて撃破したという事であり、当時多くの朝鮮人が熱狂しました。

在日朝鮮人に関する考察イルボンマンセー 3  偉大なる朝鮮人列伝


金鵄勲章(きんしくんしょう)は、戦前わが国において軍人軍属で武功ある者に与えられた勲章である。
功一級金鵄勲章をはじめ、功一級から功七級まで7種があった。 (中略) 将官(大将・中将・少将)で功績ある者(殊勲乙)は功三級に、非常な勲功をたてた将官は功二級(殊勲甲)に叙せられた。
功一級金鵄勲章は、天皇直隷部隊の将官たる司令官などに対して、特別詮議のうえ授与された。
なお、佐官の初叙は功四級で功二級まで、尉官の初叙は功五級で功三級まで、准士官はの初叙は功六級で功四級まで、下士官の初叙も功六級で功五級まで、兵の初叙は功七級で功六級まで陞叙(上位の勲章を更に授けられること)される。
中野文庫  金鵄勲章

佐官の初叙で功三級ということは、金錫源少佐が、いかに優秀な軍人であったのかが伺いしれる。

功三級金鵄勲章の写真は、徳永古美堂(勲章)で功三級金鵄勲章をクリックすると拡大写真で見れます。

005/06/01 (水) 李舜臣の錨。

金錫源(金山錫源)という人物がいる。 陸軍士官学校第27期に卒業し、独立後には韓国軍の少将を務めた。 この人物の自伝に『老兵の恨』(1977)という一書がある。 色々と興味深い記述があるが、私の興味を引いたのは以下の部分である。

―このような渦中で私は日本人達の鼻柱をへし折るため、  また韓国人の自尊心を高めるため、真面目に勉強ばかりに熱中していたのである。  だから、学生時代には特に他人に対して自慢できるような追憶一つ残つていない。
 唯一つだけ、あれは幼年学校時代であつたろうか、一度日本の海軍省を見学した事がある。
 そのとき海軍省の玄関口に飾ってあつたのが、「敵将李舜臣が使用した錨」という説明がついた錨が、堂々と置かれてあるのを見た。
 それを見て、私は俄然緊張した。  将軍といえば李舜臣であり、李舜臣といえば将軍で通じていた我が祖母の言葉が浮かび上がり、  瞬間私は
「韓国人の誇り」を胸一杯に感じたのであった。

日韓併合によって貧窮して行く朝鮮人。
その膏血を啜って富裕になり、謂れ無き差別をする日本人。
斯かる屈辱的な状況の中で刻苦勉励するという、 如何にもステロタイプな日帝期に関する「証言」と言えるだろう。
尚、参考の為に記しておくと『陸軍士官学校歴史』附録 陸軍士官学校卒業者名簿によれば、 金錫源は第27期を歩兵科466人中、432位の成績で卒業している。 果たして蛍雪の功が実ったか否かは読者諸氏のご判断に委ねたい。

さておき、問題は李舜臣の錨である。 誰が何時発見したのか、更に如何にして李舜臣の乗船と特定し得たのか、 また、海軍省の玄関口に置く程に尊崇する対象に「敵将」なる呼称は如何なものか。
疑念は尽きる事はないが、少なくとも金錫源は「敵将李舜臣が使用した錨」を見たと言う。 彼は地方幼年学校に2年、中央幼年学校に2年通っており、陸士入学は1913年である。
ここから逆算すれば、日韓併合をはさんだ1909年から1913年の間にこれを見た事になる。 ただ、惜しい哉、関連する史資料は未だ発見する事が出来ていない。 如何に韓国人とは言え、一国の将軍が斯かる拙劣な虚言を弄すとは考えたくないものである。

願わくば、読者中にこの件に関してご存知の方が居られれば何卒、ご一報ありたい。
さるさる日記ーNEVER総督府日報
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473099&log=200506

李 舜臣 I(Ri) Soon-sin 1545-1598

李氏朝鮮の武将。文禄の役(1592-1593)に際し、全羅左道水軍節度使(提督)として、「亀甲船」からなる艦隊をもって日本艦隊を撃破。これによって、日本艦隊は制海権を確保する事が出来ず、全羅道以西(朝鮮西海岸)への進出を阻止された。
又、慶長の役(1597-1598)に際しては、水軍都統使として再び艦隊を率いて日本艦隊と交戦、戦局を有利に運んだが、慶長3(1598)年、露梁海戦に於いて、撤退する日本艦隊との交戦中、戦死した。
李 舜臣容九

金山錫源、日韓併合によって貧窮して行く朝鮮人。いやはや。

それはともかく、金錫源氏の言葉の、どこをどう解釈すれば『一国の将軍が斯かる拙劣な虚言を弄す』と読めるのだろうか。敵将の”敵”の一文字が気に入らなかったのか。

第2次大戦中、大英帝国宰相ウィンストン・チャーチルは、エルウィン・ロンメル ドイツ国防軍元帥をこう評している。

「敵の指揮官ロンメルは、きわめて勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。戦争という行為は別として、偉大な人物だ。…悔しいが!」(by チャーチル)
文芸ジャンキー(中毒者)・崖っぷちパラダイス

どうやら、朝鮮では敵を称えるということを知らないらしい。

辻本清美 日ごころ通信 第6回
かつて、太平洋の島パラオで、おばあさんからこんな話を聞きました。
「日本の兵隊さんは、島を守るために武器を持って来たといっていたが、武器を持った兵隊さんが島に来たから、攻撃の対象になって、攻められ、民間人がたくさん死んでしまった。」

辻本清美は、パラオで最も有名なペリリュー島玉砕の話は聞いてこなかったのだろうか?

ペリリュー島玉砕水戸歩兵第二聯隊

ペリリュー島を守備していた日本軍は、水戸の第十四師団座下の歩兵第二聯隊を主力とした地区隊(隊長・中川州男大佐)一万二千名。

ペリリュー島守備隊は完全に補給も途絶え、食糧もない中、七十三日間にも亘る死闘を続けた。その最後を迎えた時、中川大佐、そして第十四師団から派遣されていた村井権治郎少将、飯田義栄中佐の三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。

三人のあっぱれな最期に続けとばかり、根本甲子郎大尉以下最後の決死隊が組織された時、残る兵員は傷だらけの五十五名のみ。

軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時。

このたった六文字の電文こそ、ペリリュー島守備隊全員が桜花のごとく散ったことを意味するもので、一万人有余名の兵の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩と言われている。

これほどの激戦地であっても島民に、一人の戦死者もいない。

ペリリュー島は、現地住民の住んでいる島です。島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているいて、大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をコロール島に退避させました。

この誠意が通じたのか、戦いが終わって帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣いたそうです。島民はこぞって日本軍の遺体を葬り、墓地の清掃に心掛けました。ABOUT PRLELIU

ペリリュー島のサクラと神社  米国公刊戦史の讃えるもの
ペリリュー島に玉砕した日本軍を讃えて、現地人は神社を作り、ニミッツ提督は詩を捧げた。

米国太平洋艦隊司令長官ミッツ元帥の詩

「この島を訪れる、諸国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えよ。この島を守って死んだ将兵たちの、勇気と愛国心を」

敵将という言葉に、このニミッツ提督の詩と同じ想いを感じることは出来ないものなのだろうか。

それにしても辻本清美が、話を聞いたという婆さんは、いったい何者だ?
どこの国の人間だ?

辻本清美関連で、こんなのがありました。■辻元清美の大ウソ

話を金錫源少佐に戻そう。

「親日人名辞典」に収録される3095人発表
選定は売国(乙巳五賊(乙巳保護条約を締結する際、これに賛同または黙認し調印を容易にした5人)、丁未七賊(1907年ヘーグ密史事件を機に、高宗(コジョン)を強制的に退位させた7人)、庚戌国賊、受爵者および襲爵者)、中枢院、官僚、警察、判事・検事、宗教、メディア、文化芸術など合わせて13分野に分けて行われた。
(朝鮮日報)2005/08/29

金錫源少佐は「親日反民族行為の真相調査対象者」と認定された。
 アジアのトンデモ大国2005年08月30日(火) 21時38分37秒領官級 =

では、もうひとり朝鮮人の英雄であるべき人物を。

■誇り高き朝鮮人 洪思翊中将(2002-07-09)

 かつての日本陸軍に、洪思翊(こう・しよく)という名前の中将がいたことを、若い人は知っているだろうか。

朝鮮半島出身の人で、当時のエリート校であった陸大に進学し、終戦時には南方軍総司令部の兵站(へいたん)総監を勤めていた。

戦後、捕虜虐待の罪を問われてフィリピンで刑死した。

 日韓併合の後、朝鮮半島を支配していた李王家の貴族は、日本の華族に列せられたが、洪中将は李王家の縁戚でもなんでもない。それでも中将にまで出世した理由は、身分や家柄とは関係なく、ひとえに個人の能力であった。

 その才能は並大抵のものではなく、四書五経から英語にまで精通し、戦史・戦術の専門家であった。

また、

参考資料:産経新聞 主張(社説) 1996年6月25日

朝鮮半島出身者で陸軍中将まで累進した洪思翊(こう・しよく)将軍に創氏改名の形跡はない。 敗戦前数年の旧陸軍士官学校の半島出身卒業生の名簿には、なるほど日本名を 併記したものもあるが、半数近くは朝鮮名のままなのである。

※ まだ大尉であったころ、息子の洪国善が近所の悪童から「チョーセン、チョーセン」とからかわれたとき、大英帝国に虐げられても誇りを失わないアイルランド人の例をひき、「どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい。決して『朝鮮人の』を略してはいけない」と諭したという。

そんな信念の人だったから、日本風の姓に改名などもちろんせずに一生を終えた。

指揮官になると常に日本兵の前で、
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮をとる。異義のあるものは申し出よ」と初訓示したそうである。

立派な武人であるが、現在の韓国人からすれば「なかったことにしたい」人なのである。


洪思翊中将は「親日反民族行為の真相調査対象者」と認定された。
 アジアのトンデモ大国2005年08月30日(火) 21時38分37秒
▲将軍級 =

洪思翊中将略歴 洪 思翊(コウ・シヨク)将軍(陸軍中将)
明治22年 3月 4日生れ 朝鮮出身
大正 元年 9月、幼年学校首席卒業
大正 3年 5月、陸軍士官学校(26期)卒
  同   12月、陸軍少尉任官
大正 6年10月、陸軍中尉
大正 9年     陸軍大尉 歩兵第1連隊中隊長
大正12年11月、陸軍大学(35期)卒
昭和 5年     陸軍少佐
昭和 9年 8月、陸軍中佐
昭和13年 2月、中支那派遣軍特務部員
  同    3月、陸軍大佐
昭和16年 3月、陸軍少将 歩兵第108旅団長
昭和19年 3月、フィリピン俘虜収容所長
  同   10月、陸軍中将
  同   12月、第14方面軍兵站監
昭和21年 4月18日、死刑宣告
  同    9月26日、絞首刑(法務死)
  1946(昭和21)年9月26日 マニラで死去( 刑死)

韓国では民族の裏切り者として扱われる。

マニラ裁判

洪思翊中将は売国奴と認定された。
 アジアのトンデモ大国2005年08月30日(火) 21時38分37秒
▲将軍級 =

 しかし、このような立派な方も朝鮮においては「親日派の巨魁」「民族の裏切り者」「反逆者」と罵られ、先妻の長男洪国善氏は早稲田大学卒業後、朝鮮銀行に勤めていましたが、李承晩大統領の直接命令によりやめさせられ、未亡人(後妻)の李清栄さんはお茶の水女子大の前身である東京女高師の文学科卒業であるに関わらず、一切の職業から閉め出されてしまい、韓国にすむことができずに、無一文で日本にやってきました。
 それに対して、日本の政財界の人たちは、手をさしのべたそうです。

 酒たまねぎや ura ホームページ洪将軍
「日韓共鳴二千年」名越二荒之助著 明成社

佐藤栄作首相の陰徳
(刑死した韓国人である大日本帝国陸軍中将への恩返し) p492

 佐藤栄作首相は満鉄の鉄道監察官時代、刑死した洪思秣中将に世話になった。
 佐藤首相は遺族の未亡人と長男に会うと同情し、「大陸時代の洪氏への誼み にこたえょ唄別として些少だが受け取っていただきたい」として、自分の私財百万円を贈与したという。

 佐藤首相は当時現職であり、おおぴらに支援できなかったという。

 遺族は六年間、日本に留まったが、五十年三月、未亡人は次男の留学先であるロスアンゼルスへ旅立ったという。

 その年、築地の料亭で佐藤氏を囲む会が開かたおり、知人の安藤氏から遺族の近況を聞いた。知人曰く「遺族は総理からいただいた百万円は定期預金にしておいたので数十万の利息がつき、そのお金をもって未亡人は無事渡米し、次男宅に落ちついた」と、報告をした。

 すると佐藤首相は「安藤さんありがとう、気にかかりながらも立場上、充分なことができず、申し訳なかった。これで私も忘恩の徒にならずにすんだ」と人情味溢れる言葉で述懐したという。

その直後、少し離れた席にいた福田聳夫氏と二言三言話した佐藤首相は安藤氏のひざの横に倒れてしまった。それ以後、佐藤首相は意識を回復することなく、延々と眠り続け、六月三日に永眠したという。
 酒たまねぎや ura ホームページ洪将軍
「日韓共鳴二千年」名越二荒之助著 明成社

 

これを読んで、佐藤栄作のことを見直してしまった。
佐藤栄作は「栄ちゃんと呼ばれたい」といった。

大野伴睦の3周忌の会に出席した佐藤首相は、「官僚出身の政治家はとかく国民に親しみを持たれ難いが、自分も『栄ちゃん』と呼ばれるぐらいでなければならないと思っている」と、「伴ちゃん」と親しまれた故人の大衆性を称えた。大野と佐藤は犬猿の中だったから、本心そう思っていたわけではない(佐藤いわく、ほかに誉めようがなかった、との事)。しかしこのおかげで後々まで「栄ちゃん」とマスコミにからかわれ続けた。

「栄ちゃん、かっこいい!」

あっ、別にバカにしてるわけじゃありませんよ。ホント、本当です。はい。

 

それでは、なぜ韓国は、この誇り高き朝鮮人たちを「売国奴」にしたいのか、それは「創氏改名」が強制されたという「うそ」を隠蔽するため。あほらしぃ。

日系2世部隊第100歩兵大隊と第442連隊山田長政を、英雄と称える日本人とは根本的に違うようだ。
誇り高き朝鮮人英雄が「売国奴」とは理解不能国家。


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集

捏造ジャーナリスト
落合信彦 増補新版

著者:奥菜秀次
出版社:鹿砦社
増補章
ポストスクリプト2005

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