第25話】【ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編 】


ノビーは、果たして「あるぜんちな丸」で海を渡った。のだろうか?

あるぜんちな丸の二等機関士高根健次郎さんの手記。

日本最終港横浜を出帆して北米ロスアンゼルス港まで太平洋横断の約12日、来る日も来る日も果てしない海と水平線、幾日たっても1隻の船も島も見えない日が続きます。

機関士となると、ノビーと同じボイラー室で働いた仲間。というよりも上司か?
という、オチャラケは、今回はなしとしよう。

15日目の夜、ロングビーチに着いた。真っ黒な大陸がずっと横たわっている。聖書でいう"約束の地"ね。横浜を発つときは涙が出なかったけど、そのとき初めて涙が出たね。PLAYBOY INTERVIEW (p252)

それから15日後の夕刻、船はカルフォルニアのロングビーチ沖に着いた。その夜はそのまま沖に停泊して、翌日桟橋に横付けになる予定だった。アメリカに着いたという実感はなかった。 ボイラー・ルームで最後の仕事を終えて、私はそれまで世話になった船長やパーサー、そして他の多くの乗組員に礼を言って回った。アメリカよ!あめりかよ!(p42)

高根氏によると、横浜からロサンゼルスまで「約12日間の航海」だという。ところがノビーは15日だという。このタイムラグは、なんなのだ?

船ならば、3日ぐらいの誤差と思われるかもしれないが、大正13年、東洋汽船(株)の北米航路汽船発着表を見ればわかるように、仮に3日ものタイムロスが出たら、それは船会社にとって大事故といわなければならない。

この前のJR西日本、福知山線の事故の例を持ち出すまでなく、運輸関係の仕事の場合、時間厳守は当たり前のことである。大正13年においても1日の余裕もない時刻表を発表している。もちろん、それ以前からであるのは、いうまでもないことだが。

3日間の空白の時間。ノビーは、どこにいた?

あるぜんちな丸の航跡は、日本列島沿いにドンドン北上し、アリューシャン列島辺りからロスアンジェルスへ針路をとる大圏コースを辿ります。これが一番の近道なのです。

太い赤線が大圏コース
大圏コース地図

あるぜんちな丸のハワイ寄航は、1965年(昭和40年)から。1961年にノビーが渡米したときには上図以外の航路はない。

それでは、あるぜんちな丸以外の船だとすると、有名なところでは日本郵船の氷川丸がある。この時刻表でも分かる通り、シアトル経由、バンクーバー行きとなっている。

アメリカ東部の大学に行くことを考えれば、これに乗ることはありえない。
当時、日本からアメリカに船で渡る場合、あるぜんちな丸を代表とする大阪商船三井のサンフランシスコ経由の南米航路と東洋汽船のシアトル到着の太平洋航路が一般的である。

日本人が外国に行く場合は、日本語が通じるかどうかが問題となってくる。
しかし考え違いをしていたようだ。

ノビーの英語力は、奨学金をもらえるぐらいの力がある。そう考えたとき、何も日本船籍である必要はないと気づいた。外国船に乗っても、特別、問題はない。むしろ運賃的には、飛行機会社を考えると安いのかもしれない。

当時、A.P.L(アメリカン・プレジデント・ライン)は、貨物と旅客を同時に扱っていた。 憧れのハワイ航路 は、まさに、この船会社の客船"プレジデント・ウィルソン"と"プレジデント・クリーブランド"だという。

1960年(昭和35年)客船運行予定表
PRESIDENT WILSON  Vur96 ロサンゼルス 9月9日、午後4時出航、
ホノルル着、14日 午前8時 出発午後10時 
横浜着 23日午前4時。15日間の旅。
その後、横浜をマニラに向けて午後6時に出航。

アメリカ発の運行予定表なので、逆ルートで横浜発、ホノルル経由サンフランシスコ行きのの時間を、確かめられないのが残念ではあるが、これだとノビーの言う15日間と一緒となる。

ちなみに、あるぜんちな丸の運賃は、1966年に渡米した人によると、315ドルだった。BOBがラウンジを始めたワケ

何が何でも大平洋を渡りたく、US$315.00(片道)と50,000円(親からの餞別)をポケットに入れ大阪商船三井“あるぜんちな丸”の船上の人となったのが昭和41年3月2日だった。

また、南米移民の人たちはというと、我々は日本政府よりの渡航費貸付を受けあるぜんちな丸第12次航に乗込みましたが渡航費は、10万2千円でした。 北米アメリカに渡るのと、同じぐらいの料金であるが、これは南米移民が国策であったためと推測される。

貧乏留学生のノビーにしてみれば、渡航費用を貸りるとなると、安いにこしたことはない。

ノビーは、借りるときの様子を、こう書いている。

私は意を決して事情を話した。オルブライト大学からの入学通知書や奨学金支給の書類、そしてパスポートなどを見せながら、どんな仕事でもするから船に乗せてほしいと頼んだ。アメリカよ!あめりかよ!(p41)

船に乗せてウンヌンはともかくとして、これだけの書類を提出し、アメリカの国力が最も高まっていた時代でもあり、アメリカ人が最も、精神的にも余裕のあった時代でもある。若き留学生を応援したいと思ったところで、なんら不思議はない。

それでは、どこまでの運賃を、どれぐらい借りたのか?
ごく、一般的に考えれば、目的地までということになる。しかし、ノビーは、

無事上陸はしたが、ホッとひと息というわけには、いかなかった。東部のペンシルヴァニアまで行く、大陸横断の旅が残っていた。
(中略)
ふところに20ドルしか持ち合わせのない私には、バスも鉄道も問題外だった。となると、ヒッチハイクしかない。これは日本にはいる時から考えていたことだった。アメリカよ!あめりかよ!(p57)

これは、ありえない。

時間に縛られることのない、のんびり旅ではないのだ。
入学式がある。タイムリミットがあるのだ。

いくら、憧れの地アメリカとはいっても右も左も分からない、おのぼりさんだ。
出来るだけ早く、目的地に着きたいと思うのは人情。

そんな時に、徒歩で(ヒッチハイクとはいっても、車が捕まらなければ歩きとなる)アメリカ横断を本気で考えていたとしたら、はあぁぁ・・めでたい、めでたい、脳内めでたい、お祭り騒ぎ。

当時、ロス・アンジェルスからペンシルヴァニアのフィラデルフィアまで、グレイハウンドバスで75ドルかかった。汽車だとその倍以上だ。
アメリカよ!あめりかよ! (p57)

となれば、横浜からロス・アンジェルスまでの船賃が300ドルちょっと。バス賃が75ドル、予備費を入れて400ドルといったところだろうか。

つまり、横浜から大学のあるペンシルバニア州レディングまでの全行程の運賃プラスアルファの400ドルは、借りたとみるのが妥当であろう。

見え透いた嘘、じゃぁねえや。方便です。方便。方便だってば!の世界か。

それでは、なぜ、あるぜんちな丸」だったのか?

特に「あるぜんちな丸」は、当時の日本船としては豪華な内装は、今も船客ファンの語り草となっています。

案外これが、ノビーが「あるぜんちな丸」を選んだ理由かも。オレもあんな船で太平洋を渡りたかったなぁ。って。

ただし、この話は、あくまでも仮説にしかすぎない。
なんてったって、ノビーの一番身近にいた人がこう言っているのだ。


落合の元夫人の友人の話を紹介した。

「落合さんは結婚する前から大きなことを明美さんにしゃべっていました。結局、口だけだったんですが、披露宴には政界、財界の大物を呼ぶとかどんなことでも大きなことを言う。それに慣れなかった明美さんは結婚当初はずいぶんケンカしたそうです。落合さんはハッタリというより、自分がこうしたい、こうなりたいと思うことをついしゃべり、書いてしまい、それがいつしか本当のことだと錯覚するんだと明美さんは話していました。」
『宝島30』 1993年9月号、37頁

落合信彦 破局への道  p97

となれば、赤の他人が、どこまでが事実で、どこからが妄想なのかなんて分かる訳がないわな。


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集

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