第23話】 【 人は我をCIAと呼ぶね 後編】

「人は我をCIAと呼ぶね。」

これは『月刊プレイボーイ』1978年6月号掲載のPLAYBOY INTERVIEWの中での、落合信彦の歴史に残る名言である。

落合は、リトル・ハーバード(?)、オルブライト大学へ入学した一年目のスケジュールをこう書いている。

私が始めてアルブライト大学へ入学した当時は、毎日3時間の授業を含めて、19時間勉強しました。 「GOLDEN SCHOLARSHIP GUIDE」    (p54)

朝7時に起きて、教科書と参考書を持ってカフェテリアに生き、朝食を取る。その後、8時から授業、12時にカフェテリアで昼食をとり、1時からはまた授業。その日の授業が終わると図書館で勉強。夕食のため、勉強を中断してカフェテリアに行く。夕食後は再び図書館へ戻り、閉館まで勉強。寮に帰ってシャワーを浴びて机に向かう。そして午前2時か3時まで勉強。たまに、夜、チャンピオン・ファイトを頼まれることがあったが、それが唯一の息抜きだった。
この繰り返しだった。それでも時間が足りなく思えた。
あめりかよ!アメリカよ!(p69)

唯一の息抜きである、チャンピオン・ファイトは、
・・・まあ、その・・、ともかくとして、

アメリカの授業時間というのは、日本とでは時間の概念が違うんだろうか?
朝8時から昼までが2時間で、昼から夕方までが1時間?って、いうのかね。

猛烈な勉強は、奨学金を支給されるためには絶対に必要なものであったろう。アメリカの高校の、のんびりとした授業について書いたあとで、そんな高校時代の延長した生活をしていれば、どうなるのか。

この考えが甘いということは、1学期の終わりに悟らされる。成績が悪いため、落第の憂き目をみるのである。このドロップ・アウト率は大学にもよるが、私のいたオルブライト大学ではすさまじかった。私と共に入学したのは、350人だったが、1学期が終わった時、その5分の1がドロップ・アウトして、南部や西部にある1ランク下の大学へ転校していった。

ドロップ・アウトして転校できるとは、さすがは、アメリカ。

そしてその後、四年になるまでにその2分の1が落第、休校、または転校して脱落していった。結局卒業することが出来たのは140人足らずだった。あめりかよ!アメリカよ!(p171)

落合にしてみたら、落第したら当然、奨学金はパー。へたすりゃ国外退去だって、ありうるわけだ。そりゃぁ、勉強するわ。

朝7時起床、就寝は翌日の、2時か3時。平均睡眠時間が4〜5時間。それでも高校時代の倍以上も寝られるようになったわけだ。

落合も5時間の睡眠がとれ、金の心配をしなくても済み、たまにケンカをしていればいいんで、私にとってまさにパラダイスそのものだった。あめりかよ!アメリカよ!(p69)と書いている。

高校の4年間、毎日2時間しか寝なかった。PLAYBOY INTERVIEW (p251)

これに対して、ナポレオンだって4時間寝たらからね。とPBのインタビュアーが驚いてみせているが、ナポレオンの睡眠時間って3時間じゃなかったっけ。
というツッコミは、この際、置いといて

1日の睡眠時間が6時間未満で平気な人をショートスリーパー、9時間以上必要だという人をロングスリーパーと呼び、それぞれ人口の5〜10%程度いるということなので特別ってわけでも、なさそうですな。

ナポレオンの特技は進軍中の馬上で寝ること。10分の昼寝は、夜1時間の睡眠に匹敵するという。では、都立両国定時制高校時代の落合の1日のスケジュールは、というと

5時ごろ学校へ行って、コッペパンかじって、11時まで授業でしょう。12時に帰ると、今度はおふくろの屋台を手伝う。おふくろは、酔っ払い相手に、おでんや焼鳥の屋台をやっていたわけです。終わるのが2時半。屋台引っぱって帰るわけよ。それから勉強始めるんですよ。5時ごろまで。それで、朝は7時に起きて、ようかん運びでしょう。だから、高校の4年間は、毎日2時間しか寝なかった。

この、ようかん運びは、成田名物 米屋のようかんを成田工場から東京へ1日3往復するトラックの助手。

運転手ではなく助手。18歳にならないと運転免許証は取れないからね。運転手は大変だが、ノビーは助手席に座ってる時間の方が長いわけだろう。・・・ねぇ。

それと、全日制高校は一日6時間の授業を基本に3年間で卒業できます。一方、定時制高校では、1日の授業時間が4時間と少ないため、全日制高校と比べた場合、高校を卒業するのに必要な全ての単位を修得するのに時間がかかります。定時制高校の授業開始時間は夕方5時半ぐらいから、1時限45分、4時間の授業。終業が9時。どっから、11時まで授業なんて言葉が出てくるんだか。

この2時間てぇのは、なんなんだ?
まさか、学校で寝てた?なんて、ね。

そして、猛烈な勉強に明け暮れた留学生活1年が過ぎ、

2年目に入ると、パーティやデートなどの社交生活を楽しむ余裕も出てきた。しかし、忙しさにおいては、1年の時とそれほど変わらなかった。空手を教え始めたからだ。あめりかよ!アメリカよ!(p104)

着いて2日目に町の新聞が来たんですよ。日本人の留学生だっていうんで。趣味は、と訊かれて「カラテ、ジュードー」と言ったら翌日、それが新聞の1面にパーッ出たわけ。一面に載るわけよ。あの頃はまだ空手より柔道だったんですね。じゃ教えてくれんかと、警察やYMCAからくるわけ。そこから始まるんですね。最後には、ぼくは、その町だけで道場を3つ持って月に2千500ドルの収入があった。これで一躍、町じゅうに知られるわけ。その頃日本人は、私ひとりだったからね。。PLAYBOY INTERVIEW (p255)

うーむ、分からん。空手を教えたのは、1年生の時からなのか、2年になってからなのか・・?
これが、ますます、こんがらかってくるのが、この後に続く、次の一文、

1年後に兄貴が、東大を中退してくるんです。彼(秀彦)はいまアメリカプロ空手協会の会長やってます。東部では、ぼくら兄弟がぜんぶ普及させたんです。PLAYBOY INTERVIEW (p255)

日本人は、私ひとり・・・?
兄貴は、日本人じゃない。ってこと?
それとも、留学1年目で道場を3つ持ち、月に2千500ドルの収入を得ていた。ということ・・・?

Hidy Ochiai。彼のホームページが、しばらく見てない間に一新されてますね。以前に比べると、格段に洗練されてるじゃないですか。フラッシュを使ったりして、弟のホームページを超えたね。Hidy.

これを読む限りでは、空手を教え広めるためにアメリカに渡ったと読めるのだが、なにせ英語が苦手でしてね。

Hidyは渡米する前から空手の師範クラスの腕前を持っていたということなのでは。大学卒業後は、ニューヨークに移り、和心流を創立している。

それと、Professional Karate Associationの空手演武の第一人者(型)である。とは書いてあるが、会長とは一言も書いてはいないんじゃないの?なにせ、英語が苦手でしてね。

和心流道場は、全米で25も支部があるみたいだし。Hidyは凄い。

一方、ノビーは、リトルハーバード(?)を卒業後、テンプル大学院に入り、

テンプル大学はフィラデルフィア市内にあって、その学生の数(4万人)は単一キャンパスとしてはアメリカで最も多い。(複数のキャンパスを含めると、UCの方が大きい)レディングからはそう遠くないので、私は車で通うことにして、レディング市内にアパートを借りた。夜はそれまで通り、道場で空手を教えていた。この頃はすでに道場が三つに増えており、私一人ではどうにもならないので、腕のたつアメリカ人を師範代として雇っていた。
あめりかよ!アメリカよ!(p174)

このときHidyは、オルブライト大学に在学中である。
なぁーんだ。Hidyって、アメリカ人だったんだ。

謀略、陰謀、恫喝、搾取、捏造、うーん、確かに、
「人は落合信彦をCIAと呼ぶね。」


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集