番外編 2 】 【 捏造作家、吉田清治という男 】

ここでは一切の主観を拝し、コピペのみということで番外編としました。

吉田清治に比べたら、落合信彦なんぞ、小者に見えてしかたがない。

1氏名
 本人の陳述 吉田清治
 実際    本名は吉田雄兎、別名は東司、栄司

2生年月日
 陳述 1983年に70歳(新聞)
 実際 1913年10月15日

3本籍地
 陳述 山口県(I,p19)
 実際 福岡県芦屋町西浜

4学歴(A)
 陳述 −
 実際 1931年門司市立商業学校卒(卒業生名簿には死亡とある)

5学歴(B)
 陳述 「東京の大学を出て」(I,p7)
 実際 法政大学専門部法科中退(?)

6職歴(A)
 陳述 1937年、満州国地籍整理局(I,p7)に就職
 実際  同上

7職歴(B)
 陳述 1939-40念中華航空上海支店(I,p62)
 実際 1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者なし(上杉p58)。

8金永達
 陳述 東京生まれの金を1937年に養子として入籍。吉田永達は37年12月10日満州で小川京子(小学校教員)と結婚、翌月小倉連帯へ入隊、38年9月1日間島省で戦死(I,2〜6章)
 実際 1937年4月30日李貞郁(1917年生れ)を養子として入籍、42年結婚、戦後九州で労組運動の幹部として活動、1983年死去。

9入獄
 陳述 金九(朝鮮独立運動の首領)を輸送したかどで1940年6月憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑、42年6月諫早刑務所を出所(I,7章)。
 実際 本人は96年秦へ、金九ではなく重慶軍の大佐と訂正、罪名は阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」と述べた。

10結婚
 陳述 1944年2月上旬9I,p156)
 実際 1944年5月18日大野フサエと結婚(上杉,p48)

11労務報国会
 陳述 1942年9月、同郷の先輩の世話で労報下関支部に動因部長として、就職(I,p71)
 実際 吉田の勤務を記憶している人(複数)あり。

12済州島の慰安婦狩り
 陳述 1943年5月15日付の西部軍動員命令(要点は妻の日記に記載、II,p156)により、43年5月17日下関発、翌日済州島着、兵士10人の応援で205人の女性を慰安婦要員として強制連行、暴行したものもいた(II,第三話)。
 実際 1944年2月(I,p156、実際は44年5月18日)に結婚した妻の日記に動員命令の要旨が記載されているはずがないので、全体が虚構と思われる。

13戦後の略歴
 陳述 I、IIとも一切の言及がない。
 実際 47年4月下関市議に共産党から出馬して落選、70年頃門司の日ソ協会役員をしていたほかは、職歴不明。

(注1)カッコ内のIは吉田の第一作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社1977)、IIは第二作『私の戦争犯罪』(三一書房1983)、上杉は植えすぎ千年『検証従軍慰安婦』(全貌社1993)を示す。

(注2)「実際」の諸事実は、1993-96年にかけ、秦、板倉由明、上杉千年らが、下関を中心に吉田のwんじゃ、知人などを通じ調査した結果である。

(注3)5の「学歴(B)」については、朝日新聞が法政大学卒と報じ、吉田は秦へ同大中退と述べていたが、法政大学には在籍記録がない。

『著作権台帳』 (1990年版)には法政大学卒とある。96年3月27日に吉田は秦へ勤労しつつ法政大学専門部法科に在籍したと述べた。

クマラスワミ報告書は、吉田を東京帝国大学卒業と記しているが、本人には心当たりがないとのこと。
以上 『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p245 表<7-3>より

従軍慰安婦強制連行説と吉田清治 http://tmp.2ch.net/asia/kako/1005/10052/1005201776.html


 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。

 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。

 一九八九年に吉田著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。一九八九年八月十四日付の記事の邦訳は次の通りだ。

 解放四四周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。(ついでに吉田著の概要を紹介)

 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で一五〜一六人を強制挑発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。

 いわば吉田説の全面否定に近いが、その日の夕方には、今は『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史に会うことができた。敏腕記者という感じの彼女から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ、答えに窮した記憶は今も鮮やかである。

 ・・・・(中略)・・・・

 とくにNHK山口放送局が、吉田証言を軸とした番組を企画して四〇−五〇人に取材したが、どうしてもウラが取れず、吉田の出版社から「あれは小説ですよ」と聞いたこともあり、二月に企画を中止したとの連絡を受けた。目利きの士は他にもいたのか、と安心したものである。
 『慰安婦と戦場の性』p232-234

 

従軍慰安婦強制連行説と吉田清治 http://tmp.2ch.net/asia/kako/1005/10052/1005201776.html


吉見や上杉[聡]が、今になっても吉田に対して手厚い配慮を見せる真意は不明だが、九七年四月六日に私が吉田と電話で話し合ったときに発見したのは、かつて吉田証言を信じ紹介した「被害者」であるジャーナリストたちが、時々電話で吉田のようすを探っているらしいことだった。

どうやら彼らが気にしているのは、吉田自身が「すべて作り話だ」と告白する事態ではないかと思われる。  こうした成り行きは、一九九二年当時も予想されたので、私は済州島から帰ったあとも、ひきつづき自伝風に書かれた吉田の第一作を手がかりに、彼のライフ・ヒストリーを洗った。

 

知友の板倉由明、上杉千年や出身地の方々なども協力してくれた。縁者にもあたったが、その結果、彼が嘘で塗りかためた人生を送ってきたことが判明する。

 その要点は表7-3の通りだが、名前からして実名とペンネームが何通りも入り乱れている。  学歴、職歴もほとんど確認できないが、商店になる山口県労務報国会下関支部員として在職していたことだけは、たしからしい。

・・・・

 下関の特質は数千人の朝鮮人男女をかかえていたことで、港湾工事、災害復旧、飛行場建設などに駆り出された。炭鉱労働にも投入されたようだが、業務の範囲は内地に限られていた。

 朝鮮総督府管内には、朝鮮労務協会や内地の労報に相当する労務報告会があったから、労務調達のため内地の労報支部員が出向いて直接に徴集する理由はなかった。

おそらく、吉田の労務者狩りの情景は、下関での体験、朝鮮から労務者を受け渡ししたさいに聞いた伝聞をミックスしたものではあるまいか。

『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、p243-p244

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 私は吉田が、これまでの対吉田批判を消化して、巧みな弁明を先まわりしつつ語るのを聞いて一驚した。

養子一家や元慰安婦の周辺に配慮して体験の一部を変えてある、との論理だが、彼が「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」というので、「では全羅南道の話はすべて真実か」と聞くと、「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・」と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。

 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではなかろうか。

 ・・・・(略)・・・・

 九八年九月二日、私は吉田へ電話で「吉田の著書は小説だった」という声明を出したらどうか、とすすめたが、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたものの、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら・・・・このままにしておきましょう」との返事だった。
『慰安婦と戦場の性』p246

従軍慰安婦強制連行説と吉田清治 http://tmp.2ch.net/asia/kako/1005/10052/1005201776.html


 この詐欺師について多くの方が糾弾してすでに1992年には決着がついています。

板倉由明氏(『諸君』1992年7月号)によると、吉田が昭和十五年(1940年)より中華航空株式会社に入社し、上海支社の営業所主任として勤務中にフランス領事館より頼まれた中国人が朝鮮人テロリストの「金九」として上海から広東行きの臨時便中島式AT機に同年に乗せたとするのはウソで、金九は昭和十三年(1938年)十月に上海から重慶に潜入しています。

吉田はこのことにより、憲兵隊に捕まり、軍法会議にかけられ、法務官は少佐と二人の大尉で、その少佐から「懲役二年」を宣告され、南京の桜井部隊本部の軍刑務所に送られ、昭和十七年六月二十日に出所したことになっています。(P69〜70)

出所後は、同郷の先輩の世話とやらで、山口県労務報国会下関支部の動員部長として就職しています。(P71)

 ところが、中川八洋氏はその著書『歴史を捏造する韓国』にて下記のように指摘しています。

 二年間刑務所にいた前科者が、直ちに内務省系の動員部長に任用されることは万が一にもありえないと指摘し、中華航空の社員である民間人の吉田が軍人のみを裁判する軍法会議の対象にはなりえないし、共産主義などの思想犯を取り締まる治安維持法の法律違反者は地方裁判所で裁かれる。(P229)

http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html


『週刊朝日』[1963.8.23]「私の八月十五日」の佳作(下関での労務調達風景)。
第一作の刊行[77.3.1)]

The People ([82.6.29]6月18日大阪府立ピロティホールで吉田清冶の講演、内容は第二作とほぼ同じ。

朝日新聞(大阪府)[82.9.2]大阪での前日の市民集会での講演要旨、内容は第二作とほぼ同じ(写真入り)。

東京地裁での証言(第一次サハリン裁判)[82.9.30/82.11.30]第二作とほぼ同じ内容。

第二作の刊行[83.7.31]

朝日新聞「ひと」欄[83.11.10]強制連行した謝罪碑を韓国に建てるニュースの紹介(写真入り)。

講演[88.1.15-16]「吉田清冶さん証言会」で講演(8月に事務局より印刷物刊行)。

朝日新聞(大阪府)[91.5.22]「木剣ふるい無理やり動員」(写真入り)。

朝日新聞(大阪府)[91.10.10]慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行、政府は資料をかくしている(井上裕雅編集委員インタビュー、写真入り)。『女たちの太平洋戦争』(3)にも収録。

北海道新聞夕刊[91.11.22]アフリカの幸甚奴隷狩りと同様の狩り立てをした。

東京新聞夕刊[91.12.6]慰安婦狩りは軍命令(写真入り)。

赤旗[92.1.17]第一作、第二作の要点を紹介。

朝日新聞夕刊「窓」欄[92.1.23]連行した女性は950人、「私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田説、「マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。 それが心配になってたずねると、腹がすわっているのだろう、との(北畠清泰)論説委員の紹介記事。

赤旗日曜版[92.1.26]連行した慰安婦は1000人以上(写真入り)。

神戸新聞[92.2.25]伊東秀子議員の依頼により、吉田が3月3日-10日のいずれかの日に衆議院予算委員会へ出席証言することが決まったと報道(実現せず、写真入り)。

産経新聞[92.4.30]秦の済州島調査結果を報道した記事に、「儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のり出ないのは当然」との吉田説。

朝日新聞[92.5.25]吉田が7月、韓国に「謝罪の旅」に出るという記事。男女6000人を朝鮮半島で強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりだが、いまだに実現しないと報じる。

ニューヨーク・タイムズ[92.8.8]東京支局長のインタビュー記事(写真入り)。吉田は2000人の女性を朝鮮半島で狩り立てたと述べたが、秦教授は彼を詐欺師と主張している。

毎日新聞[92.8.12]訪韓した吉田の動静と1000人を慰安婦として徴用と紹介。

毎日新聞[92.8.13]吉田は8月12日ソウル市内の慰霊祭で元慰安婦らに謝罪、また補償のため日本による韓国新幹線計画の費用負担を主張。

読売新聞夕刊[92.8.15]大阪市で8月15日に開かれた集会に吉田が出席、100人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを証言。

週刊新潮[92.11.24]吉田は、93年春に訪米して米マスコミ、在米朝鮮人(約100万人)に働きかけ、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定と語る。

赤旗[92.11.14]2年間に朝鮮半島で最低950人、多くて3000人の女性を強制連行したとの吉田新証言と吉田が「挺身隊国際援護会」を結成したとの報道(写真入り)。

熊本放送TV[92.3.16]50分番組の「漂白の果てに―朝鮮人従軍慰安婦50年の恨」に吉田が登場。

週刊新潮[92.12.24/31]吉田の「私が書いたことは全部事実、しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。そこに目をつけてタカ派とか御用学者が・・・・」とのコメント。

週刊新潮[95.1.5]吉田証言は全てデッチ上げと記述した記事に対し「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」との吉田のコメント。

週刊新潮[96..2/9]吉田は電話インタビューで「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と弁じた。

週刊新潮[97.3.31]吉田証言の真偽は確認できない。

以上『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p236-238 表<7-1>

従軍慰安婦強制連行説と吉田清治 http://tmp.2ch.net/asia/kako/1005/10052/1005201776.html

慰安婦問題 参考サイト
元慰安婦の証言に関する疑問
http://www.nc4.gr.jp/y-watch/jp.comfortwomen4-2.html


目次
誰も知らない落合信彦
●落合信彦 ブックス資料室
●奥菜秀次ブックス資料室
●あめりか冒険留学
●禁断のデビュー作
●落合信彦の消えた履歴書
●ぼく、ノビです
●忘却のかなた
●英会話睡眠学習
●封印された過去
●奥菜秀次氏への伝言
●奥菜秀次氏からの返信
●落合信彦・最後の真実
●落合信彦・破局への道
●ポストスクリプト2005
●落合信彦に全てを捧げた男
●捏造−ジャーナリスト落合信彦・増補新版
●あめりか冒険留学ふたたび
●勝ち組クラブ(The Winners'Club)
●落合・奥菜関連グッズ
●隠し通したかった本
●見えない政府
●日本人のメンタリティ
●ジャーナリストとしての姿勢
●人は我をCIAと呼ぶね 前編
●人は我をCIAと呼ぶね 後編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。前編
●ノビーは、あるぜんちな丸で海を渡った。後編
●国際ジャーナリストの情報分析
●捏造か真実か
●奪われし者たち
●消された勇者たち
●落合信彦と朝鮮
●差別に必要なもの、それは区別
●失うものといえば命ぐらいしかない
●騙し人
●虎を鎖でつなげ
●捏造、即、削除、南京大虐殺生き証人
●捏造する人々
●教科書から消えた戦争
●危ないジャーナリズム
●若き日の落合信彦
●マイ食器という考え方
●村山富市は何を成し、何を成さなかったか?
●安倍知子 国土保安隊
●山内惠子 気楽な稼業ときたもんだ!
●金子安次 腐れ外道の鬼畜帝国軍人
●捏造作家 吉田清治という男
●親日真相究明法と親日人名辞典
●朝鮮を知るための参考リンク集

捏造ジャーナリスト
落合信彦 増補新版

著者:奥菜秀次
出版社:鹿砦社
増補章
ポストスクリプト2005

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