【第19話】 【 バスストップ 】

「バスストップ」マリリン・モンロー主演映画 (BUS STOP) 邦題「バス停留所」

この作品でモンローはセックス・シンボルから、演技派女優へと変身を図ろうとしていた。

という話ではなく、ブラックバスの話。
BUSとBASSとじゃ、綴りが違いますが・・・

釣りなんかやらんのに、何で?
なのだが、、 「源流岩魚紀行」の管理人さんの 「BASS STOP」の趣旨に賛同して喜んで署名させていただいたことから、 どうしても、書いておきたいと思った次第。

前に、お会いしたとき、「何のための釣り?」という問い
「当然、食うため」」という極めて単純明快な答えを頂きました。
この考えは「本質」であると思ってますからね。

釣りに関しては、全くの素人ゆえ、能書きたれたところで・・・、
ということで、詳しくは源流岩魚紀行」BASS STOPの方を見ていただくとして・・

ここでは、別の角度から

「キャッチアンドリリース」
もともとは、ヨーロッパの貴族の遊びからきたものらしいが、さすがヨーロッパ貴族。 高尚な考え方を持っている。なんて思ったとしたら大間違い。

英国において、 キツネ狩り禁止法が成立。来年2月から施行される。

「キツネ狩り」とは、真っ赤な乗馬服に身を包んだ騎馬の集団が、猟犬に狐を追わせて噛み殺させる。
まあ、野蛮ていやぁ野蛮な遊び、かな?
それとも実利をスポーツまで高めたハイソサエティな遊び?

この「キツネ狩り」も「キャッチアンドリリース」も、 傲慢な金持ちの道楽でしかない。

欧米は肉食の文化であり、日本は魚食?の文化。
欧州の貴族にしたら、魚を食わなければ生きていけないという物ではない。
それゆえに、遊びとしての「釣り」というのが発展し、そこから「キャッチアンドリリース」という 考え方が生まれてきたのであろう。

そこには、「食うために」という人間が生きていく上での、当然ともいえる部分が抜け落ちている。 貴族たちにしてみれば、必要ない部分でもあるのだろうが。

ちなみに、チャールズ皇太子は、キツネ狩りが大好きらしい。

「源流岩魚紀行」「BASS STOP」「ブラックバス緊急駆除」の、どのコーナーを見ても一目瞭然。 「生態系」が危機に瀕しているというのが良く分かる。

これは、在来種がどうの、外来種がこうのという問題ではない。
生態系の崩壊は、いずれ人の暮らしに、直接、跳ね返ってくる。その理由については、 ネットで調べれば溢れるごとくに書かれてあるので、ここでは述べない。

銭儲けのためだけなのか、マスターベーション的なヒューマニズム?からか、 ブラックバスを保護しろなどと言っている輩もいるようだが、そんなものは、単なる都会人のエゴでしかない。

ぼくが子供の頃には鶏を飼い、卵を取り、そして、それを祖父が締めて食卓に上らせた。 まさに、食うために育て、そして殺す。
正月料理に欠かせなかった「鯉」を捌くのも、男の仕事であった。これは、どこの家でも、そうであった。

殺生をするのは、男の仕事と決まっていた。ちなみに、ぼくの祖父は動物が大好きでした。 牛を飼い、ヤギを飼い、ウサギを飼い、実に愛情を持って育てていました。 結果的に、全部、食ったというべきか、食わせられたというべきか。

ぼくの従兄弟は、鶏の殺生の現場を目撃して以来、長い間、鶏肉が食えなかったと言っていた。 今では、抵抗なくバンバン食ってるらしいが。

農家において鶏はペットではない。
「食うために育てる」育てるためには、「愛情」がなければならない。
愛情を持って育て、それを食する。そのことが、命の循環であり、仏教的な言葉でいえば、輪廻転生。

つい最近の、小中学生へのアンケートで「人間は、生き返るか?」という質問に、1割以上の 児童生徒が「生き返る」と答えていた。

理由は、「リセットできるから」というものだった。現実世界とバーチャル世界の区別が、 つかなくなってきている証明なのだろう。

それに対して、コンピューターゲームがどうの、学校教育がどうの、家庭での教育が、などと論評していたが、 いずれもまっとうな意見に聞こえるが、的はずれとしか言いようがない。

多くの小中学生は、バーチャル世界でしか、「死」というものを感じ取ることが出来くなっているのだ。 これは日本人の平均寿命が延びたことと、核家族化が進んでいることと無関係ではない。
家族の死、近所の見知った人の死、という場面に遭遇することが、少なくなってきているのだ。

例えば、都会における「葬式」は亡くなった日を含め2、3日で終わってしまう。

ところが、秋田においては、「お通夜」をし、「火葬」「葬式」とここまでは、都会と同じなのだが、 「初七日」「二七日(ふたなのか)」そして「三七日(みなのか)」で「納骨」となる。

家族は、その21日間、「死者」と暮らすこととなる。このことは、3、4歳の幼児であっても、その時には 実感できなくても、いずれ、いやでも「死」ということを考えさせられることになる。

このことを体験した子供たちの口から、「死者が生き返る」などという言葉が出てくるはずはない。
「ブラックバス」の問題と何か関係があるのかと思うかもしれないが、 間違った「死」の概念からは、間違った「生」の概念しか生まれこない。

生きとし生けるもの、すべて死を迎える。これは、避けがたいことだ。
人(動物も)は、その他の命をもらって生かされている。 そのことさえ分かっていれば、「キャッチアンドリリース」などという傲慢な考え方が生まれてくるはずは ないのだ。

「生きるために」ほんのチョッとの、他の命を分けてもらう。という謙虚な部分が感じられないのだ。

それと「動物愛護」などと声高に叫ぶ連中は、本質からは全くの関係のない「かわいそう」という 心情部分を理屈に持ってくるから、よけいに、ややこしいことになる。

この「かわいそう」というのが、一番のクセモノだ。
捕鯨問題で、日本が常に槍玉に挙げられるのが、 この
「クジラは人間と同じ哺乳類であり、知的能力も高くかわいそうだ。 だからクジラを取るな」 という理屈にもならない「へ理屈」。

もともと、クジラを乱獲していたのは、アメリカ。ペリーが浦賀に来たのも、 捕鯨の食料補給基地の確保のためであった。このときの捕鯨は「鯨油」を絞り取るためだけのものであり、 油を絞った後は全部、海に捨てていた。

それが、石油が掘削されるようになると、「鯨油」の利用価値はなくなり、 クジラを取るということはなくなった。
しかし、日本においては、今でも、余すところなく100パーセント活用している。

「かわいそう」という論点からすると、日本のクジラ活用と「鯨油」を取るだけの捕鯨、 どちらが、かわいそうなのか?は、答えを出すまでもないだろう。

ハワイの「クジラ博物館」で、マルハのクジラの缶詰一個がガラスケースの中に、 これ見よがしに飾られていた。
全く、アメリカ人というやつは

クジラの話なんて、遠い過去の物語ではないかというのであれば、キリスト教の「贖罪」の話をしてみたい。
「贖罪」の本来の意味は、キリストが十字架に架けられ、死によって人類?の神に対する罪をあがなった。 ということからきているのだが、転じてか、転じさせてか、自分が犯した罪を キリスト協会に大金を寄進することで、その罪を許してもらう。 ということである。

ここにも、キリスト教会の傲慢さを感じるが、まあ、 それに対しての意見は控えましょう。いずれ、結果として弱者救済には、なるわけだから。

つい最近も、ビル・ゲイツ氏財団、 途上国の予防接種に770億円寄付という記事が載っていた。これなんかは「贖罪」の典型であろう。
世界一の金持ちが「ケチだ、ケチだ」と今まで言われていて、年齢からくるものなのか(死を意識し始めた?) 罪の意識にさいなまれてなのかは、定かではないが。贖罪の意識に目覚めたのだろう。

過去においては、鉄鋼王として名高い、アンドリュー・カーネギーが全財産を寄付し、子供には1セントも 残さなかったというのもある。

贖罪の意味も知らず、外国人の寄付行為を、西洋のヒューマニズムは、なんて素晴らしいんだ。などと 単純に考えていたら、とんでもないことだ。
金で罪を買い取る。金持ちだけが、寄進によって、 自分だけが幸福になれるという極めて単純な利己主義に基づいたものだからだ。

それにしても、キリスト教会のやり方は見事なもんだ。

この贖罪という意識は、「キャッチアンドリリース」にも、含まれているのかもしれない。
ほんのチョッとの善行。それが、 「自己満足は、他人の大迷惑」だとも考えず。